2月10日 井戸の中は暖かいかも

ひひひ、落とし穴に落として欲しいのかい?

之下石乎(これに石を下さんや) (顧亭林文集)

親族や友人の多くを虐殺され、明の遺臣として最後まで清朝に仕えなかった亭林先生・顧炎武のことは、みなさん大好きだと思います。

そこで、彼の「与人書」(人に与うるの書)から引用してみましょう。ちなみに「人に与える」だけで、一体だれに送った文書であるかは、弟子で編纂者の潘耒さんが全部削除してしまっているので分かりません。

「えー! 文書を削除するなんて「カイザン」だ。どんな字書くか知らんけど民主主義の崩壊だ!」

とお嘆きの諸兄は、当時反清分子として認識されていた顧炎武と付き合いがあったことを知られることが、どんなに危険なことであったか、どんな讒言で顧炎武の友人たちが一族揃ってきっつーい死刑(ただの死刑じゃないんです)に遭い、顧炎武も巻き込まれて亡命と入牢を繰り返したことなど認識して、

「わーい、おいらも一族もろとも生きたままバラバラにしてくだちゃーい」

と、苦しみを味わっていただくといい勉強になると思いますよ。

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某君が自作の文集を出版するので、わたしに序文を書くよう求めてきた。潤筆料はいくらいくらであるという。

某君欲自刻其文集、以求名於世。

(某君、自らその文集を刻して、以て世に名を求めんと欲す。)

なにがし君が、自分の文集を印刷に付そうというのは、それによって名声を得ようとしているわけだ。

此如人之失足而墜井也。

(これ、人の失足して井に墜つるが如きなり。)

これは、人が足を滑らせて井戸に落ちてしまうようなものだ。

若更為之序、豈不猶之下石乎。

(もし更にこれがために序すれば、豈にこれに石を下すがごとからざらんや。)

(わしが)このために序文を書いてやったりすれば、それはさらに井戸の中に石を落としてやるのと同じではないか。

惟其未墜之時、猶可及止。止之而不聴、彼且以入井為安宅也。吾已矣夫。

(これそれ、いまだ墜ちざるの時には、なお止どむるに及ぶべきなり。これを止どむめて聴かず、彼まさに井に入るを宅に安んずると爲すなり。吾、已んぬるかな。)

まだ井戸に落ちていない時なら、なんとか止めてやることも出来ただろう。だが、(井戸に落ちてしまうぞ、と)これを止めてやっても言うことを聞かないのであれば、やつは井戸の中を安心できる家だと思っているのだ。わしにはどうすることもできないなあ。

井戸の中から顔だけ出して、「石落としてくだちゃーい、早く早くー」と言ってるやつがいたら可笑しいですね。

わはははー。

では、あなたは誰に頼まれても、序文や「行状」(死後のその人の言動を称賛する文。お墓に刻んだりする)を書かないのですか。

弾琵琶侑酒、此娼女之所為。其職則然也。

(琵琶を弾じ、酒を侑(すす)むるは、これ娼女の為すところなり。その職なればすなわち然るなり。)

琵琶を弾き、酒を進め(て男のサービスす)るのは、娼婦のすることである。彼女の仕事なんだから当然である。

うわー、また政治的に難しい発言だ。むかしの東洋の人は政治的に間違った人多いなあ。何かが欧米や現代には劣っているんでしょうね。

苟欲請良家女子出而為之、則艴然而怒矣。

(もし良家女子に出でてこれを為せと請わんとすれば、すなわち艴然(ぼつぜん)として怒らん。)

「艴然」は「勃然」と同じです。色をなして怒る。

もし、立派な家のお嬢さんに、奥から出て来て同じことをしろよ、へへへ、と請求したら、すっごい剣幕で怒ってくるであろう。

何以異於是。

(何を以てこれに異ならん。)

これと一体何が違うのだ?

わしは良家の女子だから書きません、と言ってます。トランス・ジェンダーだ。

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「亭林文集」より。この人はホントに言ったとおりに絶対引き受けませんから、立派なものです。わたしなども頼まれても「人に阿る文章は書かんよ」と(めんどくさいから)断りますな。しかし、3000円ぐらいの中華かフランス料理食わせてくれたら確実に書きます。1500円の晩酌セットでも大丈夫じゃないかな。でも、ほんと食べ物高くなりましたね。今日の昼のサバみそ定食1000円ですよ。本当にひもじく苦しい人があちこちにいるんだと思います。(2023.2.10)

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