2月調査報告2

2月4日(日) 古河南部(利根川畔)探索 

真理は細部に宿るゆえ、細部を調査しておりますが、あまり多くのことがわかったわけではありません。

〇水海城址 ・・・ 古河市水海にあり。「みずうみ」と読みます。中世古河城の支城の一つと推測されますが、城主や戦績などが明らかなわけではありません。平地にあって「神明神社」になっています。

さらに利根川に近いところに水海古城あり。おそらく利根川の渡を監視する城砦だったのでしょうが、川の流路の変化によって上の水海の地に移動したのだろうと思われます。違ったら知らんけど。

右手の繁みのあたりから左手奥にかけてが城郭域と思われます。

〇駒塚古墳 ・・・ 古河市中心に近いところに遺された古墳。もとは直径四十メートルの円墳というのでそこそこの規模があったようですが、現在では削られて10メートル✕5メートルぐらいの小さな墳丘になり、墳頂には馬頭観音碑あり(それで「駒塚」というのでしょう)。確認したら少なくとも一基は昭和に建てられている。昭和30年代にはまだこんなのを立てるゆかしい人たちがいたところなんですね。

〇穴薬師古墳 ・・・ 利根川を渡って埼玉県側にある七世紀の円墳。石室があり、そこに薬師如来が祀られているようです。昭和48年に県指定文化財になった。

周囲の水田の中にはいかにも円墳崩れのような微高地があちこちにあります。末期の群集墳と思われます。

〇一色神社 ・・・ このあたりを支配した川妻氏の館跡のようですが、関宿の領主と争って没落したとのこと。

〇目沼10号墳 ・・・ 関宿を左に見ながら利根川を下り、五霞を過ぎたあたりに目沼古墳群というのがあるようですが、住宅地化していて「群」はわかりません。ただこの10号墳だけは保存されていて、かなりでかい。

幸手の資料館がそう遠くないところにあるようですが、暗くなっておなかが減ってくると居眠りしてしまいそうなんでもう帰る。
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