12月7日 そろそろ善人の仮面を外そうかな

小人之所罵(小人の罵るところ)(「幽夢影」)

忘年会なるものがありました。この文章を書き始めた今は頭痛い。早く寝たい。部屋寒い。腹苦しい。もうダメだ。

わしも善人づらをしているのに疲れてきたのう・・・くっくっく。

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寧為小人之所罵、毋為君子之所鄙。

ほんとですよね。

寧為盲主司之所擯棄、毋為諸名宿之所不知。

「主司」は科挙試験の試験官のことです。「名宿」は、すぐれた長老。

原著者の心斎先生・張潮の書いたことはこれだけです。

早速、友人たちのつけた評語を見てみます。

陳康疇:世之人自今以後、慎毋罵心斎也。

小人だと確定しますよ。

江含徴:不独罵也、即打亦無妨。但恐鶏肋不足以安尊挙耳。

「鶏肋」はニワトリのあばら骨、もう食べるところは無いのだがまだ肉が残っていそうで捨てきれない。捨てきれないもの、の譬喩です。

難しい言い回しをしていますが、心斎先生のような何も出来ないだろうとバカにされてるやつも何か仕出かすかも知れんぞ、と警告又は負け惜しみを言ってやっている、ということでしょうか。反清運動のことを言っているとするとちょっとヤバイかも。

張竹坡;後二句、足少平吾恨。

試験に落ち続けてきた恨みなのでしょう。

李若金:不為小人所罵、便是郷愿。若為君子所鄙、断非佳士。

以上です。さあ風呂入って寝よう、と。

「郷愿」とは何じゃ、という人は下を参照。

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清・張心斎「幽夢影」第180則。肝冷斎もいろいろ罵られたが、その人たちはつまらないやつだったのでしょう。しかるに最近年をとったら(表面上は)罵られなくなったので、世間の人たちもだいぶん君子になってきたのではないかのう。

さて、「郷愿」(きょうげん)の語は、「論語」陽貨篇に出てまいります。

子曰、郷原徳之賊也。

孔子先生にしては珍しく語気荒く否定しております。朱子の注によれば「原は愿と同じ」なので、「郷原」でも「郷愿」でも同じらしいのですが、以下、朱注を読むと、

郷原、郷人之愿者也。

「愿」(げん)は、素直で謹み深い、という意味の字です。すごくいいことに見えます。その人を孔子が罵っているので、古来いろんな解釈がなされてきました。朱子は言う、

蓋其同流合汚以媚於世。故在郷人之中、独為愿称。夫子以其似徳非徳、而反乱乎徳、故以為徳之賊、而深悪之。詳見孟子末篇。

とのこと。「ほんとか?」と思うかも知れませんが、わたしではなく朱晦庵先生が言っているのだからほんとですよ。

朱先生が「見ろ」と言っているので早く寝たいんですけどガマンして「孟子」尽心下篇を見てみます。

―――孟子の高弟・万章さんが訊きました。

一郷皆称原人焉。無所往而不為原人。孔子以為徳之賊、何哉。

弟子が訊いて先生が答えてそれを記録に遺す、要するに八百長質問です。

―――孟子先生が答えた。

非之無挙也。刺之無刺也。同乎流俗、合乎汚世、居之似忠信、行之似廉潔。衆皆悦之、自以為是而不可与入堯舜之道。故曰徳之賊也。

孔子曰、悪似而非者。・・・・悪郷原、恐其乱徳也。

きみたちに言っとくが、

君子反経而已矣。経正則庶民興。庶民興斯無邪慝矣。

お分かりいただけましたか。なんとなく腑に落ちない、と思うかも知れませんが、先生方が一生懸命言っているので、分かってやってください。

肝冷斎は腑に落ちないので、そっと宮崎市定先生の「論語」(岩波現代文庫2000。原著1974)を見てみます。宮崎先生の訳は、

です。わかりやすくするように、ゴチック部分を補ったようです。孔子先生の七十ぐらいの時のコトバと考えれば人間的には理解できますが、あんまり腑に落ちないなあ。

私ごとながら、今日は何年振りかで職場の忘年会というのがあったので出てみました。早めに終わったけどアルコール摂取のため、家に帰ってきてPCの前でだいぶん寝込んでしまいました。いかん、短く終わらせて早く風呂入って寝る、寝なければならんぞ、と思って「幽夢影」の一節だけなら早く終わると思った・・・のですが、「論語」に入り込んで大失敗です。明日まだ平日ですが、酔いが醒めて目が覚めてきたし明日起きられるはずない。また腹まで減ってきました。嗚呼、どうすればいいのか。もうダメだ。

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