豈有此理(あにこの理有らんや)(「清波雑志」)
炭水化物が焦げると美味い。

あまりの美味さに茶わんも食ってしまうことがある、でぶー。
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北宋の文人として有名な河南先生・尹師魯は、
性高而褊。
性高くして褊なり。
プライドが高く偏屈な性格であった。
プライドが低くて偏屈、というのも変ですから、これでいいのかも。
役人になってだいぶんえらくなって五十歳ぐらいになって、一時期睨まれて洛陽に退隠していた時のこと、
与欧梅諸公同游嵩山。
欧・梅の諸公とともに嵩山に游ぶ。
欧陽脩や梅聖諭といった当時の名高い文人たちとともに、嵩山に旅行したことがあった。
その際、彼が言うには、
游山須是帯得胡餅爐来、方是。
游山にはすべからくこれ、胡餅の爐を帯得し来たる、まさに是なり。
「山歩きには、パン焼きのトースターを持ってくるのが絶対に正解だよね」
「胡餅」(フーピン)は小麦の練り物に熱を加えて(パンにして)、これに肉やあんを挟んだ食べ物です。韓国に入ってホットクになった、というのですが韓国料理をほぼ食べたことが無いのでピンと来ません。来る人にはピンと来るんでしょうけど。
その言葉を聞いて、同行者たちは否定した。
諸公咸謂游山貴真率。豈有此理。
諸公みな謂うに、游山には真率を貴ぶ。あにこの理有らんや、と。
同行者たちが口を揃えて言うには、
「山歩きは質素にするのがいいのだ。なんでトースターみたいな文明の利器を持っていく必要があるか。理解できあい」
と。
諸公群起而攻之、師魯知前言之謬而不能勝諸公。
諸公群起してこれを攻むるに、師魯も前言の謬にして諸公に勝つ能わざるを知る。
みんなでわいわいと師魯の発言を責めるので、師魯もとうとう自分に言ったことが正しくは無さそうだということと、これかでみんなで言うのだから反論しきれない、と観念したようだ。
彼は、
遂引手扼吭。諸公争教之乃免。
遂に手を引きて扼吭(やくこう)す。諸公争いてこれに教えて免れしむ。
突然、自分の両手を引っ込めて、自分で首を絞め始めたのだった。まわりの人たちは驚いて、取り押さえて、あれやこれや教え諭してなんとか死ぬのを止めさせたのであった。
よっぽど悔しかったのでしょう。
識者いう、
一時失言有所不免、若曰愧而扼吭、無是理也。
一時の失言は免れざるところ有るも、愧じて扼吭すと曰うがごときは、この理無からん。
―――時に失言してしまうことはしようがないことだが、屈辱的だといって自分で首を絞めてしまうというのは、理解できないことではないかね。
と。
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宋・周煇「清波雑志」より。自分のクビを締めるとは変な人かな、と思いましたが、よく考えれば変ではないですね。わたしもみなさんも、何度も自分で自分のクビをしめるような振る舞いをしてきたものですからなあ。今はしてませんけど。
炭水化物は火を通すとさらに美味くなりますからトースター持って行った方がいいですよ。