12月3日 高いところに登りたがる

君子道狭(君子の道は狭し)(「説苑」)

タコは頭に直接足が生えているので頭足類というのですが、それでも頭とゲソと別々にされたりします。

みんなも頭と足を別々にされないように気をつけてくだチューね。

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岡本全勝さんが「いつも難しいこと言っている」と賞めてくれたので、今日も難しい話しようっと。

・・・衛の子石は孔子の弟子であったそうですが、紀元前5世紀、呉越の戦いで越が勝利を収めた直後に、もとの呉の国にやってきた。

登呉山而四望、喟然而嘆息。

そして言うことには、

嗚呼、悲哉。世有明於事情不合於人心者、有合於人心不明於事情者。

弟子が訊いた、

何謂也。

子石は弟子に対して言った。

―――呉の国が滅びたのはほんの十数年前のことだから、おまえたちにも記憶があるだろう。

「はあ」「へえ」「ほう」

ここから後の歴史的理解は、「史記」などの書とは詳細が少し違うところもありますが、大まかには違わないので、細かいことは気にせずに読んでいきます。

昔者呉王夫差、不聴呉子胥尽忠極諫、抉目而辜。

一方、

大宰嚭公孫雒偸合苟容以順夫差之志。

呉子胥の死後、呉王夫差が中原に出陣して斉や晋とやりあっているうちに、力を貯えた越が南から侵攻し、ついに呉を滅ぼしてしまった。

越伐呉、二子沈身江湖、頭懸越旗。

「なるほど」「そうですか」「ふがふが」

―――最近の話だけではなく、もっとむかしも同じことがあった。紀元前12世紀に周が殷を滅ぼした時も、

昔費仲悪来革長鼻決耳、崇侯虎順紂之心、欲以合於意。

ところが、

武王伐紂、四子身死牧之野、頭足異所。

「四子」というのが気になります(細かいこと気にしたらいかん、というてるのに)。紂王を含めた四人と解せざるを得ませんが、「史記」などによれば紂王は牧野の戦いで負けたあと、本拠地の朝歌に逃げ込んで、そこで自ら宮殿に火を放って自殺したことになっています。「悪来革」を「悪来」と「〇革」と読むべきかも知れません。(←12月4日追記 近人・程翔先生の「説苑訳注」(北京大学出版社2009)によれば、「太平御覧」に引かれている該当部分は、「悪来革」でなく「悪来、胶革」となっているよし。なお、程翔先生は「長鼻決耳」は崇侯虎の形容と解するべきだ、との説です。この先生はプロフィール見るとわたしより若いんだなあ。若いのにエライなあ。)

一方、

比干尽忠、剖心而死。

紂王は「さすが叔父貴は賢者だな、王のわしに諫言するとは。賢者の心臓には穴(動脈・静脈)が普通のひとは四つなのに、七つもあるというが、本当かどうか調べてみよう」と言って解剖してしまった、と「史記」には書いてあります。

以上、

今欲明事情恐有抉目剖心之禍、欲合人心恐有頭足異所之患。

由是観此、君子道狭耳。

「はあ」「へえ」「それで?」

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漢・劉向「説苑」巻十七「雑言篇」より。古代チャイナの本を読む時は、「古代のやつらの言うことだ、大したことないぜ」と聞き捨てておくのが一番いいと思います。ほとんど役に立ちません。その立場を弟子たちの対応で示しておきましたので参考にしてください。

少しでも役に立てよう、と思う人は、「主君」=「主権の存する民衆」とか「株主」「商品をお買い上げくださる消費者のみなさん」と読み替えて読んでみてください。少しぐらい役に立つかも。ムリか。

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