君子道狭(君子の道は狭し)(「説苑」)
タコは頭に直接足が生えているので頭足類というのですが、それでも頭とゲソと別々にされたりします。

みんなも頭と足を別々にされないように気をつけてくだチューね。
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岡本全勝さんが「いつも難しいこと言っている」と賞めてくれたので、今日も難しい話しようっと。
・・・衛の子石は孔子の弟子であったそうですが、紀元前5世紀、呉越の戦いで越が勝利を収めた直後に、もとの呉の国にやってきた。
登呉山而四望、喟然而嘆息。
呉山に登りて四望し、喟然(きぜん)として嘆息す。
呉の山に登って四方を眺め、深くためいきをついた。
そして言うことには、
嗚呼、悲哉。世有明於事情不合於人心者、有合於人心不明於事情者。
嗚呼(おこ)、悲しいかな。世に、事情に明らかにして人心の心に合わざる者有り、人心に合いて事情に明らかならざる者有り。
―――ああ、悲しいことではないか。この世には、物事がどうなるか明らかに察していながら、人の心には合致しない者がいる。人の心には合致しながら、物事がどうなるか明らかに察していない者がいるのだ。
弟子が訊いた、
何謂也。
何の謂いぞや。
「なにが言いたいんですか?」
子石は弟子に対して言った。
―――呉の国が滅びたのはほんの十数年前のことだから、おまえたちにも記憶があるだろう。
「はあ」「へえ」「ほう」
ここから後の歴史的理解は、「史記」などの書とは詳細が少し違うところもありますが、大まかには違わないので、細かいことは気にせずに読んでいきます。
昔者呉王夫差、不聴呉子胥尽忠極諫、抉目而辜。
むかし、呉王夫差は、呉子胥の忠を尽くして極諫するを聴かず、目を抉りて辜(つみ)す。
むかし、呉王夫差は、越に勝利した後、呉子胥(ご・ししょ)が真心を尽くして(越王を誅殺しろとか中原に乗り出してはダメだとか)きつい諫言を行ったのを聞かずに、目を抉ってコロしてしまった。(「史記」では剣を賜って自殺させたことになっています)
一方、
大宰嚭公孫雒偸合苟容以順夫差之志。
大宰嚭(たいさい・ひ)、公孫雒(こうそん・らく)は合を偸み苟(かりそ)めに容れて、夫差の志に順(したが)う。
大宰(筆頭宰相)の伯嚭や外交係の公孫雒らは、(本心はわかりませんが)誠意なく合意しいい加減に容認して、呉王の夫差のやりたいことに同調した。
呉子胥の死後、呉王夫差が中原に出陣して斉や晋とやりあっているうちに、力を貯えた越が南から侵攻し、ついに呉を滅ぼしてしまった。
越伐呉、二子沈身江湖、頭懸越旗。
越の呉を伐つや、二子は身を江湖に沈め、頭を越の旗に懸く。
越が呉を滅ぼすと、(嚭と雒の)二人は胴体は江南の川や湖に沈められ、首は越の旗指し物の先に懸けられてしまったのである。
「なるほど」「そうですか」「ふがふが」
―――最近の話だけではなく、もっとむかしも同じことがあった。紀元前12世紀に周が殷を滅ぼした時も、
昔費仲悪来革長鼻決耳、崇侯虎順紂之心、欲以合於意。
昔、費仲・悪来革は長鼻・決耳とし、崇侯虎は紂の心に順いて、以て意に合わんと欲す。
当時、殷の臣下であった費仲と悪来革は、「長い鼻」「よく裂けて聞こえる耳」と言われ、殷の紂王のために情報収集し、同盟者の崇侯虎(すうこう・こ)は紂王のやりたいことに従い、みな王の意に適合しようとしたのだ。
ところが、
武王伐紂、四子身死牧之野、頭足異所。
武王の紂を伐つや、四子は身を牧の野に死せしめ、頭足所を異にせり。
周の武王が紂王を討伐すると、四人は牧野の戦いで戦死し、頭と足が別々になってしまった。
「四子」というのが気になります(細かいこと気にしたらいかん、というてるのに)。紂王を含めた四人と解せざるを得ませんが、「史記」などによれば紂王は牧野の戦いで負けたあと、本拠地の朝歌に逃げ込んで、そこで自ら宮殿に火を放って自殺したことになっています。「悪来革」を「悪来」と「〇革」と読むべきかも知れません。(←12月4日追記 近人・程翔先生の「説苑訳注」(北京大学出版社2009)によれば、「太平御覧」に引かれている該当部分は、「悪来革」でなく「悪来、胶革」となっているよし。なお、程翔先生は「長鼻決耳」は崇侯虎の形容と解するべきだ、との説です。この先生はプロフィール見るとわたしより若いんだなあ。若いのにエライなあ。)
一方、
比干尽忠、剖心而死。
比干は忠を尽くし、心を剖かれて死にき。
これより先、殷の王族(伝説では紂王の叔父さん)の賢者・比干(ひかん)は、紂王に真心を以て「マジメにやらなければなりませんぞ」と諫言したのだが、心臓を解剖されて殺されてしまった。
紂王は「さすが叔父貴は賢者だな、王のわしに諫言するとは。賢者の心臓には穴(動脈・静脈)が普通のひとは四つなのに、七つもあるというが、本当かどうか調べてみよう」と言って解剖してしまった、と「史記」には書いてあります。
以上、
今欲明事情恐有抉目剖心之禍、欲合人心恐有頭足異所之患。
今、事情を明らかにせんと欲すれば目を抉り心を剖かるの禍有るを恐れ、人心に合せんと欲すれば頭足の所を異にするの患(うれい)有るを恐る。
―――まとめてみるに、物事がどうなるか明らかに察しようとする者は、目を抉られたり心臓を解剖されたりする不幸に会うのだ。人の心には合致しようとする者は、頭と足が別のところにある、というイヤなことに会うのである。
由是観此、君子道狭耳。
これによりて此れを観るに、君子の道は狭きのみ。
―――これらを手掛かりに考えると、組織や企業に仕える者が(無事で)行ける道は、たいへん狭いということじゃよ。
「はあ」「へえ」「それで?」
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漢・劉向「説苑」巻十七「雑言篇」より。古代チャイナの本を読む時は、「古代のやつらの言うことだ、大したことないぜ」と聞き捨てておくのが一番いいと思います。ほとんど役に立ちません。その立場を弟子たちの対応で示しておきましたので参考にしてください。
少しでも役に立てよう、と思う人は、「主君」=「主権の存する民衆」とか「株主」「商品をお買い上げくださる消費者のみなさん」と読み替えて読んでみてください。少しぐらい役に立つかも。ムリか。