12月27日 でかい口開けてるとやられる

打呵欠(呵欠を打つ)(「水東日記」)

今日もたくさん呵欠を打ってきました。

おいらアサリでやんす。病従口入、禍従口出。でかい口をあけて無防備にしてると天敵にヤられるでやんすよ。

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「呵欠を打つ、とは、どういうことかね?」

と訊かれました。

今人以大舒気作声為打呵欠。

「どういうことかね?」

「呵欠」(かけつ)はおそらく「噫欠」(あいけつ)であろう。「呵」と「噫」はどちらも「ああ」と声を出すこと。

韓昌黎詩、噫欠為飄風、注噫焉界切。欠或作吹。

「韓昌黎」は唐の大文人、昌黎先生・韓愈のことです。「切」は「反切法で表現すれば」の意味で、「反切法」は文字の音を表すのに、A・B二文字を使い、Aの頭の音とBの後ろの音で表現すること、です。ここでは、

「焉」(えん)と「界」(かい)の切 → 「(母音)」+「あい」 = 「あい」と読む。

とりあえず後半の「欠→吹」は無視して、

聚気為噫、張口為欠。

後漢・許慎の「説文解字」にも

欠、張口気悟也。

と言っております。つまり、欠伸(あくび)のこと。「欠」の字はひとが大きく口を開けている姿の象形文字。

過去に、宋の孟顗(もう・ぎ)というひとは、

亢声大欠被劾。

なので、人前であくびをするのは、できればやめましょう。

ところで、韓愈の詩には、別本があり、

作噫歆。

「噫歆」は、

蓋警神声也。

そうすると、韓愈の詩句の意味は、

になりますが、

非也。

それに、今回の問題「呵欠を打つ」とは何か、には何の関係もありません。

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明・葉盛「水東日記」巻十六より。ということで、今日も、何度も声を出しながら欠伸をしました。軽蔑している人はいると思いますが、弾劾はされないと思います。

・・・みなさんこんな話退屈だし、こんな話をにこにこしながらしている肝冷斎を「変なやつだ」と軽蔑しているかも知れませんが、こんなおもしろい話を何故にこにこしながら読まないのか、不思議な人たちだなあ。

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