12月26日 威勢のいいこと言っててもなあ

一鼓可殲(一鼓にして殲(ころ)すべし)(「郎潜紀聞」)

そんなに簡単ではありせん。

太鼓叩いて殲滅でクマー!!

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威勢のいいこと言っててもなあ、という文章を読んでみます。

咸豊十年(1860)八月、内閣は帝の指示により、以下の文章を発布した。

近畿各州県地方士民、或率領郷勇、斉心助戦、或整餝団練、阻截路途。

今回はさらに耳よりなお話ですよ!

無論員弁兵民人等、

今後、

如有能斬黒夷首一級者、賞銀五十両。

斬白夷首一級者、賞銀一百両。

擒著名夷首一人者、賞銀五百両。

焚搶夷船一隻者、賞銀五千両。

の賞金がついたのです。黒えびすは安いな。おまけに、

所得資財、全行充賞。欽此。

これはやらんといかん。

世に言うアロー号事件です。

時撫議未成、夷酋日驕、聖心震怒、原望中外臣庶、敵愾同仇、除辺患而壮国威、在此挙也。

この時に、

当国諸臣、設能仰稟睿謨、堅持初議、数千醜類、一鼓可殲。

残念なことに、当時の大臣たちは、なんと、降伏してこちらから和平を求め、屈辱的な不平等条約を結ばされたのである。

即鼓棹重来、亦必弛首乞憐、断不如今日之再三要挟。蓋夷性然也。迨誤至斯、感憤何極。

閉塞状況を打破するためには、がつんとやるしかない!

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清・陳康祺「郎潜紀聞」初筆巻四より。アロー号事件のときはえびすどもが憐れみを乞うことはなく、えびすの英仏軍が天津に来て、さらに北京まで攻めてくるかも知れん、といって皇帝以下急に弱気になって降伏してしまったのでした。著者がこの文章を書いているのは光緒六~七年(1880ごろ)のことでしょうか。まだ戊戌変法→失敗→義和団事変と進む前なので、元気があります。天の時、地の利などが違うので簡単に言いきることはできないのですが、やっぱり江戸幕府と明治政府でよかったという気がします。明治政府がもう少し優しければなあ。

一方、現代は、真っ先にグローバリズムに憐れみを乞うている・・・ように見える気がするのですが見えるだけかな?

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