丈夫飄蕩(丈夫、飄蕩す)(顧況「湖中」)
今日は旅先で落とし物を届けてもらい、ホントに助かりました。サンタクロース先生ですわー。

煙突に詰まったような時代の閉そく感を打ち破ろう・・・と思っていたが、今や楚水の西に。
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クリスマス・イブなのでみんなシアワセにしている・・・といいですね。
青草湖辺日色低、黄茅瘴裏鷓鴣啼。
青草湖辺に日色低(た)れ、黄茅瘴裏(り)に鷓鴣(しゃこ)啼けり。
この二句には少し語釈が要ります。
「青草湖」は湖南の洞庭湖につながる湖で、今は巴丘湖というそうです。都・長安を離れて遠いところまで来たものだ。「黄茅」は黄色く枯れた茅ですが、この地方には、
毎歳、厲風瘴気というて悪熱気があつて、災をなすことで、夏は青草瘴といい、秋は黄茅瘴といふ。(伝・服部南廓述「唐詩選国字解」)
毎年、「病気をもたらすひどい風」という人体に悪い熱波がおこってわざわいをもたらすのじゃ。この熱波、夏起こるものを「青い草が起こす熱気」といい、秋に起こるものを「枯れた茅が起こす熱気」という。
ことがあるのだそうです。「鷓鴣」(しゃこ)は、蝦蛄(シャコ)ではありません。鳥の名前、うずらに似ているといい、その声の哀切なる、江南、特に江蘇の名物という。
都を遠く離れた青草湖のあたりに、日暮れの色がたれ込めるころ、
熱気をもたらす黄色く枯れた茅の中から、哀しいシャコ鳥の鳴く声がする。
そして、
丈夫飄蕩今如此、一曲長歌楚水西。
丈夫、飄蕩して今かくの如し、一曲の長歌、楚水の西。
この二句にはほとんど解説が要りますまい。
立派なおとこだと思っていたこのおれだが、あてどなく彷徨うて今ではこんなものじゃ。
ひとふし、長く声を引く歌をうたおう、辺境の川・楚水のさらに西のこの地で。
と言っております。
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唐・顧況「湖中」(「唐詩選」巻七所収)。「楚水」で歌を歌うとなると、屈原のことも思い合わされるのでしょうが、屈原のような憂国とか貴族の義務感といった立派な背景は必要無くて、何か夢でも持っていたがそれも破れて既に盛りを過ぎたひとの述懐として、よくできた詩です。
状況によっては、こちらの詩の方がぴったりするシーンもあるかも。
一官何幸得同時、十載無媒独見遺。
一官何の幸いぞ同時を得たるも、十載媒無く独り遺さる。
楊さんよ、どういう運でかおまえさんと同じ官職についていたが、
十年の間に(おまえさんは出世したが)わしの方には推薦者が無く、ひとりそのまま忘れられた。
今日莫論腰下組。請君看取鬢辺糸。
今日論ずるなかれ腰下の組(そ)を。請う、君、看取せよ、鬢辺の糸。
「腰下の組」は、ベルトから官印をぶらさげる紐のことで「綬」と言います。官員はクラスによってこの紐の色が決まっておった。
この日になって、とやかく言いなさんな、腰にぶらさげた印綬の色のことを。
それよりおまえさん、見て呉りゃれや、このもみあげの白い糸(のような白髪)を。
包何「楊侍御に贈る」(「唐詩選」巻七所収)。この詩の解釈は、例えば「唐詩選国字解」に
今になつては役の高いの低いのといふやうなことはいうてくれらるるな。もうその段ではない。鬢辺糸を乱した如く、白髪になったれば、官に進んでも役に立たぬ。
とあるように、江戸時代の解釈は、
「もうこんな白髪になったので、昇進してもしかたがありません」
という趣旨になるのに対して、現代の諸注では
「すっかり白髪になったのに、まだこんな低い位にいるのですよ」
とわが身の不遇を嘆き、楊侍御にとりなしを頼む気持ちがこめられている、のだそうです(「唐詩選国字解」(平凡社1982)3巻p233の日野龍大「補説」による)。
出世が目指される(新)自由主義的労働思想下にある現代人の感懐と、出世が当たり前ではなく目の前の仕事をして「分を守る」封建主義の人たちと、どちらの解釈が唐代詩人にはふさわしいのであろうか。みなさんはどうですか。わたしは何故か封建主義者の解釈がしっくりきますじゃ。