12月24日 都では宴のムシロもあるであろう

丈夫飄蕩(丈夫、飄蕩す)(顧況「湖中」)

今日は旅先で落とし物を届けてもらい、ホントに助かりました。サンタクロース先生ですわー。

煙突に詰まったような時代の閉そく感を打ち破ろう・・・と思っていたが、今や楚水の西に。

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クリスマス・イブなのでみんなシアワセにしている・・・といいですね。

青草湖辺日色低、黄茅瘴裏鷓鴣啼。

この二句には少し語釈が要ります。

「青草湖」は湖南の洞庭湖につながる湖で、今は巴丘湖というそうです。都・長安を離れて遠いところまで来たものだ。「黄茅」は黄色く枯れた茅ですが、この地方には、

ことがあるのだそうです。「鷓鴣」(しゃこ)は、蝦蛄(シャコ)ではありません。鳥の名前、うずらに似ているといい、その声の哀切なる、江南、特に江蘇の名物という。

そして、

丈夫飄蕩今如此、一曲長歌楚水西。

この二句にはほとんど解説が要りますまい。

と言っております。

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唐・顧況「湖中」(「唐詩選」巻七所収)。「楚水」で歌を歌うとなると、屈原のことも思い合わされるのでしょうが、屈原のような憂国とか貴族の義務感といった立派な背景は必要無くて、何か夢でも持っていたがそれも破れて既に盛りを過ぎたひとの述懐として、よくできた詩です。

状況によっては、こちらの詩の方がぴったりするシーンもあるかも。

一官何幸得同時、十載無媒独見遺。

今日莫論腰下組。請君看取鬢辺糸。

「腰下の組」は、ベルトから官印をぶらさげる紐のことで「綬」と言います。官員はクラスによってこの紐の色が決まっておった。

包何「楊侍御に贈る」(「唐詩選」巻七所収)。この詩の解釈は、例えば「唐詩選国字解」に

とあるように、江戸時代の解釈は、

出世が目指される(新)自由主義的労働思想下にある現代人の感懐と、出世が当たり前ではなく目の前の仕事をして「分を守る」封建主義の人たちと、どちらの解釈が唐代詩人にはふさわしいのであろうか。みなさんはどうですか。わたしは何故か封建主義者の解釈がしっくりきますじゃ。

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