痩骨柴立(痩骨柴立す)(「籜廊琑記」)
痩せたい人はこんな方法もあるみたいです。

死活問題でぶー
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クリスマス直前なので男女問題を取りあげましょう。
清の道光年間、わしの友だちに栄陽生というやつがいた。これはあだ名で、「精力有り余り君」みたいな意味である。
妓女の湘華というのは当時名の通った上玉だったが、栄陽生は、
与之交嬖焉。
これと交嬖す。
この女がお気に入りで関係を持った。
「嬖」(へい)は「お気に入り」「ねんごろになる」などの意です。
それ以来、
口無言、言湘華也。心無思、思湘華也。目無見、見湘華也。千里無間、一刻不逾、行止坐臥、痩骨柴立、為湘華也。
口に言無ければ湘華を言うなり。心に思う無ければ湘華を思うなり。目に見る無ければ湘華を見るなり。千里も間無く、一刻も逾えず、行止坐臥、痩骨の柴立つも、湘華のためなり。
口に何も言ってないときは湘華の名前を呼んでいるのであり、とろんとして何も考えてないように見えるときは湘華のことを考えているのであり、ぼんやりとして目に何も見てないようなときは湘華を見ているのだ。どんなに離れていても、しばらくの間も置かずに、歩いている時立ち止まった時、座っている時寝ている時、いつも、骨まで痩せて枯れ木のように立って、湘華のことばかりなのだ。
という状況であった。
だが、
生寒士、纏頭費不満人意、湘華始与善、漸且薄拒之。
生は寒士なり、纏頭の費も人意に満たず、湘華始めはともに善きも、漸且にこれを薄拒す。
栄陽生は貧乏な読書人であったから、チップさえ満足してもらえるようには払えない。湘華もはじめは仲良くしていたのだが、だんだんに彼に冷たく当たるようになった。
既謝、弗与通、与語、弗親也。而生念念湘華如故。
既に謝して、ともに通ぜず、ともに語るも親しまず。しかるに生の湘華を念念することもとのごとし。
面会を断って頻繁に連絡を取ることもなくなり、たとえ話す機会があっても親しくはしなくなった。しかし、彼の方が湘華のことを思い続けることは、以前と同様だったのである。
どうなることであろうか。何かのきっかけで血の雨が降ることになるかも。
・・・と思っていたら、
香雪者、亦湘華亜、生一見好之。
香雪なるものは、また湘華の亜、生一見してこれを好む。
香雪という妓女がいて、これが湘華に次ぐといわれていたが、栄陽生は彼女に一度会って一目ぼれしてしまった。
口焉、心焉、目焉、一如嬖湘華、有過焉。
口、心、目、一に湘華に嬖するが如く、過ぐる有り。
口が、心が、目が、と、どれもこれも湘華をお気に入りだったときと同じ、あるいはそれ以上であった。
ある時、香雪が言った、
吾老是郷矣。
吾、この郷に老いたり。
「あちき、もうこの世界には飽きてきやした」
これは、落籍してくれ、というモーション、かも知れませんし、それをネタに何か無心しようとしているだけかも知れません。
栄陽生は答えて言った、
以子之年、当退処房老、非復翩翩美少年、且爾輩視客如伝郵、解念子傾葵藿心耶。
子の年を以て、退処房に当たりて老ゆるは、翩翩たる美少年に復するにもあらず、かつ爾の輩、客を視ること伝郵の如く、子の葵藿の心を傾くるを解念せんや。
「おまえさんの年齢で妓女の控え室に引退してしまっては、いまさらぱりぱりの美少女に戻るわけでもないし、それに、おまえさんたちがお客を駅伝の馬のようにとっかえひっかえするのを知っているから、おまえさんがひまわりが常に太陽の方を向くようにわたしに好意を持ってくれるなんて、ちょっと思えないね」
齟齬而去。
齟齬して去る。
話はかみ合わないままで終わった。
栄陽生にはそんな資金が無かったから、かみ合わずに済ますしか無かったのでしょう。
その後も二人はつきあいを続けたが、
香雪無定性、一日喜怒百変、生雖百計奉之、而莫測如雷霆鬼神。
香雪に定性無く、一日に喜怒百変し、生は百計これを奉ずるといえども、雷霆鬼神の如く測る莫し。
香雪という女は機嫌の上下が激しく、一日に喜んだり怒ったりが百回も変わるぐらいで、彼はいろんな手を尽くしてご機嫌を取ろうとするのだが、まるで雷がどこに落ちるかわからない、精霊がどこに現れるかわからない、というような予測不能状態であった。
慨然曰、余今了悟矣、丈夫七尺躯豈為児女子絆擾哉。
慨然として曰く、「余今了悟せり、丈夫七尺の躯にしてあに児女子のために絆擾せられんや」と。
彼、嘆き悲しんで言う、
「わたしは今こそ悟りました。男たるもの七尺(≒2メートル)近い図体をして、なんで女どものために繋がれ混乱させられなければならんのか」
やっとわかったか、と思った人もいたかも知れませんが、
然口悟而心不悟、卒以廃業。
然るに口に悟りて心に悟らず、ついに以て業を廃せり。
やっぱり口では「わかった」と言いながら心では何にもわかっていなくて、その後も失敗を続けて、とうとう読書人の業である勉学を棄ててしまった。
今はどうしているかわかりません。
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清・王守毅「籜廊琑記」巻一より。二年ぐらい前に読んだ時に「いいハナシだ」とメモしてるんですが、どこがよかったのだろうか。何かおもしろかったんだろう、と思うのですが、当時の感動が思い出せません。ホスト問題とか推し問題とかにつなげる・・・ほどの深刻さも無いし。痴情のもつれがありながら誰も死んでない平和さが気に入ったのかも。
「口に言無ければ湘華を言うなり。心に思う無ければ湘華を思うなり。目に見る無ければ湘華を見るなり」の一節はなかなか読ませますけどね。