大呼星斗南(星斗南と大呼す)(「郎潜紀聞」)
裏金をどう使ったのか、すっきりして欲しいところです。しかし過去にも明らかにならず、すっきりしないことも多かったのです。

おいらとグローバリズムはあまり関係ないでアース。
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清の嘉慶十八年(1813)、清朝始まって以来の事件が起こりました。
巨逆林清以七十七人入禁門。
巨逆・林清、七十七人を以て禁門に入る。
大反逆者・林清が、七十七人の配下を率いて、あろうことから禁門から皇宮に侵入したのである。
大騒ぎになりましたが、
既殄定。
既にして殄定す。
なんとか、鎮圧し尽くしました。
その後で、朝廷内で大議論になった。
有議築円明園宮牆高厚者、有議増円明園兵額者。
円明園の宮牆を高厚に築かんと議する有り、円明園の兵額を増さんと議する有り。
禁門から入ってすぐの円明園の外壁をもっと高く厚くすべきだと論ずる者も有れば、円明園に常駐する兵士の数を増やすべきだと論ずる者もあった。
そんな中で、
高郵王引之意非之、具摺上。
高郵の王引之、意にこれを非とし、摺を具して上(たてまつ)る。
高郵出身の王引之という人。それらの議論に反対であったのだろう、書状を具えて皇帝に秘密奏上した。
この文書を読んで、
皇帝大動容、召対良久。
皇帝大いに容(かたち)を動かし、召して対することやや久し。
皇帝は大いに顔色を変え、すぐに王引之を呼び出して、かなり長い時間、二人だけで何やら話し合っていた。
面会を終えると、皇帝は、
乃罷。
すなわち罷む。
すぐに、円明園を強化する検討を止めさせた。
そして、かたわらの軍機大臣に言うには、
王引之乃能言人之所不敢言。
王引之、すなわちよく人の敢えて言わざるところを言う。
「王引之というやつは、よくもまあ、他人がさすがに言わないでおこうと思うようなことを、堂々と言うやつじゃなあ」
皇帝はそれ以上何も言わなかった。
其奏牘何語、海内迄今弗知。而公之風旨可見矣。
その奏牘何の語あるか、海内今にいたるまで知らず。しかるに公の風旨見るべきなり。
その上奏書に何が書かれていたか、今に至るまで世界中に知る人はいない(。王引之も嘉慶帝も亡くなられた)。しかし、王氏が如何なる姿勢と雰囲気で申し上げたか、目に見るように想像できるではないか。
何を語り合ったか、気になりますね。しかしこのような歴史上の謎は、「すっきりしない、怪しからん」と言ってもしようがないのです。
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太平天国の乱が勃発したときのことです。
アヘン戦争の責任を問われて西域に左遷されていた林則徐は、この時にはすでに罪を許されて引退していたのですが、
皇帝特詔起之田間。
皇帝特に詔してこれを田間より起こす。
時の道光皇帝は、特別に詔書を下して、民間に引退していた林則徐を呼び出し、平定の責任者に命じた。
公方臥疾、聞命束装、星夜兼程、宿疴益劇。
公まさに臥疾するに、命を聞きて束装し、星夜兼程して、宿疴劇(はげ)しきを益せり。
林さまは当時すでに病気で寝ておられたのだが、皇帝からの召命を聞くとすぐに衣裳を改め、昼はもちろん夜間も使って任地に赴こうとし、このため病気は一段とひどくなってきた。
同行していた息子が見かねて、少し日程を遅らせようとすると、
公慨然曰。
公、慨然として曰う。
林公は、「ふんがー」と力をこめて言った。
二万里冰天雪窖、隻身荷戈、未嘗言苦、此時反憚労乎。
二万里の冰天の雪窖にも、隻身にて矛を荷い、いまだ嘗て苦を言わず、この時は反って労を憚らんや。
「三千キロも離れた凍りつくような北方に一兵卒として流されて、雪の穴に暮らし、たった一人、ホコを担いで見回りをしていた時にも、(国家のための仕事であるから)苦しいなどとは一度も言わなかったのだ。今、この時になって、反って「疲れるのはイヤだ」などということがあろうか」
「はあ」
そして、
口占一聯云、苟利国家生死以、敢因患難避趨之。
一聯を口占して云う、「いやしくも国家に利すれば生死を以てし、敢えて患難に因りてこれを避趨せんや」と。
口頭で一首の対聯を口ずさんだ。これが有名な、
少しでも国家の役に立つのなら、生きるの死ぬのを気にするな。
苦しい難しいを理由にして、せねばならないことから逃げだすな。
である。
乃舁疾亟行、憂国焦労、馳駆尽瘁、遂卒於広甯行館。
すなわち舁かしめて疾亟に行き、国を憂いて焦労して馳駆尽瘁、遂に広甯の行館に卒せり。
そして、駕籠を急ぎに急がせ、その間、国の将来を心配して焦り疲労しながら馳せて疲れ尽くして、ついに広甯の公館で亡くなってしまったのであった。
あの林則徐が、来る―――
賊震公威名、思解散。
賊、公の威名に震え、解散を思う。
太平軍は、林公のビッグネームに怯え、解散して逃亡することを考えていたらしい。
ところが、赴任の途中で亡くなった、というので、
「ひゃっほー」
毒炎益張。
毒炎、ますます張る。
彼らの吐きだす毒の炎は、ますます燃え盛ったのであった。
ところで、
公臨没、大呼星斗南。莫解所謂。
公、没するに臨みて、「星斗南」と大呼す。謂うところを解する莫し。
林公は亡くなる時、「星斗、南せよ!」と叫んで事切れられたという。・・・一体どういう意味なのかは、誰にもわからなかった。
そんな大事なことがわからないとはどういうことだ、「すっきりしない、怪しからん」けれどしようがないですよ。
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清・陳康祺「郎潜紀聞」初筆巻四より。三国・蜀漢の諸葛武侯が五丈原に「いまだ捷ちえず」と言い遺し、南宋の名将・宗忠簡が死に臨んで三回、「河を渡れ」(今がチャンスなのだ!)と叫んだことも思い出していただきたい。
千古貞臣、同此遺憾耳。
千古の貞臣、この遺憾を同じうするのみ。
千年に一人の正義の大臣・林則徐は、彼らと同様に(国家のために尽くしきれなかった)悔恨の言葉を遺していったのには違いなかろう。
・・・と言われるチャイナ史上屈指の名場面、わたくしなど感動に鼻水啜るべきところなのに、「知る権利が損なわれた、怪しからん」とは。みなさん、もしかしてグローバリズムでは?