12月13日 わしはバクハツしてもダメかも

真画者也(真の画者なり)(「荘子」)

芸術のためならバクハツするしかないのだ。

人生一度ぐらいバクハツしてあいつらを痛い目に逢わせたかったが。

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春秋時代の終わりごろのことだそうでございますが、宋の元公(在位前531~前517)が新しい宮殿を造り、その内部を壁画で飾ろうとしたそうです。そのことが大いに評判となり、

衆史皆至、受揖而立、舐筆和墨。

当時のチャイナ中からたくさん集まってきたので、

在外者半。

そこへ、

有一史後至者、儃儃然不趨。

受付で

受揖不立、因之舎。

(なんだ、あいつは)

公使人視之、則解衣槃礴臝。

「槃礴」は「あぐらをかく」。「臝」は「裸」と同じです。

「はだかになっていました。あの人はへんたいですよ」

という報告を聞いて、元公は言った、

可矣。是真画者也。

と、一段と厚く遇したのであった。

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「荘子」田子方篇より。この人は、ただの露出狂おやじではないのでしょうか。

いや、そうではありません。宋の郭熙「画意」によれば、

此真得画家之法。人須養得胸中寛快、意思悦適、如所謂易直子諒、油然之心生。

則人之笑啼情状、物之尖斜偃側、自然布列於心中、不覚見之於筆下。

まことの芸術家ははだかになるのが当たり前というのである。日本では裸の大将は全裸ではなかった。ヨーロッパのピカソは

で半裸だった。なのに、さすがにチャイナの真の画家は、全裸である。

寒い時は全裸の上にコートだけ来て町に出かけたりするのでしょうか。そして女性を見るとニヤニヤしてバクハツだ! (・・・これぐらいの記述でもセクハラになるの?なるなら取り消します)

念のため(著者か肝冷斎がウソついているといけませんからね)、「礼記・楽記篇」より、該当部分を見ておきます。

君子曰、礼楽不可斯須去身。致楽以治心、則易直子諒之心油然生矣。易直子諒之心生則楽、楽則安、安則久、久則天、天則神。天則不言而信、神則不怒而威。

どうでしょう。まあ、理解できる感じですかね。二千年以上前の人の言っていることですから、これぐらいで勘弁してやってください。

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