12月11日 奴婢のように見上げ膝まづく

傲物憐才(物に傲り才を憐れむ)(「栖霞閣野乗」)

えらい人たちが裏金とかキックバックとかで大騒ぎになってます。だが、えらい人に睨まれるとコワいですからその問題には触れないでおこう、と。

おろかもののふりをするでぶー。ふりかどうかは実はわからないでぶー。

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達官貴人、往往睥睨一切、以盛気凌人。受者亦俯首不敢一較、奴顔婢膝、視為固然。

ただ、

独村野間人、或尚能以微詞相弁詰、則以無利禄之観念歆羨于中也。

ああ。

礼失在野、求之今日、恐亦如鳳毛麟角之不可多得矣。

・・・以上が一般論です。

清・乾隆年間の顕官で大学者の秋帆先生・畢沅(1730~97)が、三秦巡撫のとき、

道経某刹、駐軒随喜。一老僧迎入。

畢巡撫は言った、

「そんなに手間取らせるつもりはない。車中でふと思いついたことがあるので教えてほしいだけだ。ところで、

爾亦知誦経否。

なかなか失礼な質問ですが、相手はえらい人なのでちゃんと答えなければなりません。

曾誦。

いい答えですね。

「そうか。それなら教えてくれ。

一部法華経得多少阿弥陀仏。

「は?」

これは困りました。「法華経」には阿弥陀如来は登場しません(はず←12月18日補足。3か所出てくるそうです)。でもそんなふうに答えたら、えらい人のプライドを傷つけてしまうかも知れませんぞ。

老僧は答えた、

荒庵老衲、深愧鈍根。大人天上文星、作福全陝、自有夙悟。不知一部四書得多少子曰。

「・・・そうか、なるほど。みな信ずるところは違うのだなあ」

畢愕然、深賞之、遂捐俸置田為香火資。

よかったですねー。

とはいえ、

此僧固可謂具善知識者、然非畢之傲物于前、憐才于後、則貴人一怒、禍福亦正不可測耳。

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清・孫静安「栖霞閣野乗」より。危ないところでした。えらい人の前で人並みの知恵があるように思われたらたいへんな目に逢いますから、「はいはい、まったく」「耳が遠くなりまして」「おっしゃるとおり」などのコトバしか知らないふりをしないといけません。ゆめ間違っても

「これって違法じゃないんですか?」

と言ったりしてはいけませんぞ。

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