傲物憐才(物に傲り才を憐れむ)(「栖霞閣野乗」)
えらい人たちが裏金とかキックバックとかで大騒ぎになってます。だが、えらい人に睨まれるとコワいですからその問題には触れないでおこう、と。

おろかもののふりをするでぶー。ふりかどうかは実はわからないでぶー。
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達官貴人、往往睥睨一切、以盛気凌人。受者亦俯首不敢一較、奴顔婢膝、視為固然。
達官貴人、往往にして一切を睥睨し、盛気を以て人を凌ぐ。受者また俯首して敢えて一較もせず、奴顔婢膝、視て固く然りと為す。
おえらい役人、身分の高い貴族などは、たいていすべてを睨みすえて、盛んな気分で人を抑え込むもの。その睨みを受けた人は、やはり首を垂れ俯いて、少しも同等に振る舞おうとせず、奴婢のような顔で見上げ、膝まづき、気圧されて当たり前と納得するものです。
ただ、
独村野間人、或尚能以微詞相弁詰、則以無利禄之観念歆羨于中也。
独り村野間の人のみ、あるいはなおよく微詞を以て相弁詰するは、すなわち利禄の観念の中に歆羨する無きを以てなり。
田舎ものの中にだけ、時にえらい人に対しても、うまい言い方をしながら相手を言い負かせる人もいる。これは、彼らに、利害や給料をもらおうという底意で貪り羨む気持ちが無いからである。
ああ。
礼失在野、求之今日、恐亦如鳳毛麟角之不可多得矣。
礼、在野に失われ、これを今日に求むるは、恐るらくはまた、鳳毛麟角の多く得るべからざるが如くならんことを。
いにしえの真っすぐな時代のしきたりは、(役所や都会には無く)田舎の民間にしか無くなってしまっており、現代においてそれを探そうとしても、鳳凰の羽毛や麒麟の角のように、滅多に得られないものになってしまっていることでありましょう。
・・・以上が一般論です。
清・乾隆年間の顕官で大学者の秋帆先生・畢沅(1730~97)が、三秦巡撫のとき、
道経某刹、駐軒随喜。一老僧迎入。
道に某刹(ぼうさつ)を経、軒を随喜に駐(とど)む。一老僧迎え入れたり。
途中、なんとか寺という寺院を通ったところ、巡撫さまはかっこいい馬車をその車寄せに停めさせた。えらい人がお見えになったというので、すぐに老僧が飛び出して来て、お出迎えをした。
畢巡撫は言った、
「そんなに手間取らせるつもりはない。車中でふと思いついたことがあるので教えてほしいだけだ。ところで、
爾亦知誦経否。
爾、また誦経を知るや否や。
あなたは、少しはお経をお読みになっているか?」
なかなか失礼な質問ですが、相手はえらい人なのでちゃんと答えなければなりません。
曾誦。
かつて誦せり。
「読んだことはございます」
いい答えですね。
「そうか。それなら教えてくれ。
一部法華経得多少阿弥陀仏。
一部法華経に多少の阿弥陀仏を得るや。
法華経の中に、阿弥陀如来は何回出てきたかな?」
「は?」
これは困りました。「法華経」には阿弥陀如来は登場しません(はず←12月18日補足。3か所出てくるそうです)。でもそんなふうに答えたら、えらい人のプライドを傷つけてしまうかも知れませんぞ。
老僧は答えた、
荒庵老衲、深愧鈍根。大人天上文星、作福全陝、自有夙悟。不知一部四書得多少子曰。
荒庵の老衲(ろうどう)、深く鈍根を愧ず。大人は天上文星、全陝に福を作して、自ずから夙悟有らん。一部四書に多少の「子曰く」を得るや。
「このようなボロ寺の、このような年寄の僧侶でございます。愚鈍な生まれつき、恥ずかしいばかり(なので、ご質問への答えはできません)。対しましてお役人さまは天上の文化的きら星でいらせられ、この陝州全体に幸福をもたらせてくださる方、おのずとお若くとも悟りの境地に至っておられましょう。逆にお教えください、「大学」「論語」「孟子」「中庸」の「四書」の中に、何回、孔子さまの発言が出てまいりましょうか?」
「・・・そうか、なるほど。みな信ずるところは違うのだなあ」
畢愕然、深賞之、遂捐俸置田為香火資。
畢愕然とし、深くこれを賞し、ついに俸を捐(す)てて田を置き香火の資と為せり。
畢秋帆巡撫は一瞬驚き、それから深くその答えに感激した。とうとう、(何か月分かの)給料を喜捨してお寺に水田を寄付し、仏さまに捧げるお香料としたのであった。
よかったですねー。
とはいえ、
此僧固可謂具善知識者、然非畢之傲物于前、憐才于後、則貴人一怒、禍福亦正不可測耳。
この僧もとより善知識を具うる者と謂いつべきも、然るに畢の前に物に傲(おご)り、後に才を憐れむに非ざれば、すなわち貴人一怒、禍福また正に測るべからざるのみ。
この老僧は確かに、よい知恵を持った者であったというべきであろうが、畢巡撫が、最初は他者に傲慢に振る舞っていたが、後で僧侶の才能を大切にしようというキモチにならなかったら、どうなったか。えらい人がひとたびお怒りになれば、禍いがあるか幸いがあるか、まったく予想できなかったのである。
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清・孫静安「栖霞閣野乗」より。危ないところでした。えらい人の前で人並みの知恵があるように思われたらたいへんな目に逢いますから、「はいはい、まったく」「耳が遠くなりまして」「おっしゃるとおり」などのコトバしか知らないふりをしないといけません。ゆめ間違っても
「これって違法じゃないんですか?」
と言ったりしてはいけませんぞ。