野人必出(野人必ず出づ)(「廣東新語」)
漢文には、役に立つ人生や経営のヒントが隠されているかも知れません。読まないと損するかも。

こいつら、もしかしたらウンコかも知れませんよ。
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宋の時代から、しばしば廣東の山中には黄野人という異人が現われる。老婆になったり子どもになったり鳥や蝶々に化けたりもするが、いなくなった後でその足跡を見ると二尺(60センチ)あるので、
「ああ黄野人であったか」
とわかるのである。
本HPでは令和3年ごろに二三回紹介したことがあります(既に散逸)が、また新しい情報が入ったのでご紹介しよう。
有僧於洞遇一老者、老者指虎糞示之。
僧、洞において一老者と遇う有り、老者、虎の糞を指してこれに示す。
ある僧侶が、岩がへこんで洞になったところに座っていた一人の老人と出会った。老人は、近くにあったトラの糞を指さした。
僧見虎糞猶暖、有気蒸然。且雑獣毛。
僧見るに虎糞なお暖かく、気の蒸然たる有り。かつ獣毛を雑う。
僧が見ると、トラの糞はまだほかほかと暖かく、もわーと湯気が立っており、ケモノの毛が混じっている。
老人は手真似で、僧侶にそれを食べろ、と教えた。
「はあ?」
腥穢不敢嘗。
腥穢、敢えて嘗めず。
臭いし、汚いので、さすがに食べられない。
老人の方を顧みると、もう姿は見えなかった。
その間に、
俄而虎糞漸消滅、僅余一弾丸許。
俄かにして虎糞漸くに消滅し、わずかに一弾丸許(ばか)りを余すのみ。
トラの糞はどんどん消えてしまい、わずかにパチンコ玉のような小さな部分だけしか残らなくなっていた。
そこへ、キコリがやってきました。キコリはその小さなトラの糞を見つけると、
「こ、これは!」
と、僧侶を押し退けて手に取り、
呑之。異香満口。
これを吞む。異香満口。
それを食べてしまい、うっとりとして「ああ、口の中にすばらしい香りが満ちてきたわい」と言った。
後、得寿百有余歳。
後、寿百有余歳を得たり。
このキコリ、後に百歳以上まで生きることができたという。
また、
有人於石巌間見一無衣人、紺毛覆体。
人有りて、石巌の間に一無衣の人、紺毛の体を覆うを見る。
ある旅人が、岩石の上に、なにも着てない人がいるのを見た。その人は紺色の毛でおおわれていた。
旅人は、
異之、再拝問道。其人了不相顧。
これを異とし、再拝して道を問う。その人、了として相顧みず。
(これはただ者ではあるまい)と思って、二回礼拝すると「どうぞ不思議な術を教えてくだされ」と頼んでみた。しかし、そのハダカの人は、まったく旅人の方を顧みることは無かった。
但長嘯数声、響振林木。
ただ、長嘯すること数声、林木響振す。
ただ、長々と口から息を吐きだして唸った。二度、三度と唸ると、山林の木々が震え、音を立てはじめた。
(不思議なことだ)
と思って岩石の上を見ると、もうその人は見えなかった。
この毛の生えたハダカの人については、別に目撃情報がある。
有一佝僂者遇之、令於道上俯拾一石以進。
一佝僂者有りてこれ遇うに、道上において一石を俯拾して以て進めしむ。
背中の曲がった人が、道を歩いていたところ、突然その人が現われた。驚いて見上げていると、身振り手振りで「俯いて道に落ちている石を拾って自分に渡して欲しい」というのである。
「はあ」
その人がわざわざ拾って、
及起則腰膂自如。
起きるに及びて腰膂自如たり。
起き上がって手渡そう・・・とすると、背中も腕も自由に伸びるようになっていた。
ハダカの人の姿はもうどこにも見えなかったが、さっきまで立っていたところには、二尺の足跡が遺っていたという・・・。
まだまだたくさん目撃情報があります(不可枚挙)が、このあたりにしておきましょう。
現在は清の時代ですが、
大率毎年九月六日至九日、黄野人必出。以是日侯之、然往往見之不識云。
大率、毎年九月六日より九日に至るに、黄野人必ず出づ。この日を以てこれを侯つも、然るに往往にしてこれを見るも識らず、と云う。
たいてい、毎年九月の六日から九日の間に、この黄野人は必ず出現する。そこで、ひとびとはその日になると黄野人と会えるのではないかと期待しているのだが、往往にして、その人を見るのだけれど、「ああ黄野人だ」と気づかぬうちに、見えなくなってしまうのだ、ということじゃ。
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清・屈大均「廣東新語」巻二十八より。長々と読んでいただきましたが、これだけのことです。残念ながら、人生や経営に対する教訓も、不思議な術の手がかりもどこにも見当たりません。みなさん、これからも日々をマジメに生きていくしかないようです。うっしっし。
確かに服も着てないじじいを見ても、ふつうは黄野人さまだとは思わずに「へんなじじいだ」と思うだけだから気づきませんよね。肝冷斎にもね。