11月8日 季節の変わり目に出るのかも

野人必出(野人必ず出づ)(「廣東新語」)

漢文には、役に立つ人生や経営のヒントが隠されているかも知れません。読まないと損するかも。

こいつら、もしかしたらウンコかも知れませんよ。

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宋の時代から、しばしば廣東の山中には黄野人という異人が現われる。老婆になったり子どもになったり鳥や蝶々に化けたりもするが、いなくなった後でその足跡を見ると二尺(60センチ)あるので、

「ああ黄野人であったか」

とわかるのである。

本HPでは令和3年ごろに二三回紹介したことがあります(既に散逸)が、また新しい情報が入ったのでご紹介しよう。

有僧於洞遇一老者、老者指虎糞示之。

僧見虎糞猶暖、有気蒸然。且雑獣毛。

老人は手真似で、僧侶にそれを食べろ、と教えた。

「はあ?」

腥穢不敢嘗。

老人の方を顧みると、もう姿は見えなかった。

その間に、

俄而虎糞漸消滅、僅余一弾丸許。

そこへ、キコリがやってきました。キコリはその小さなトラの糞を見つけると、

「こ、これは!」

と、僧侶を押し退けて手に取り、

呑之。異香満口。

後、得寿百有余歳。

また、

有人於石巌間見一無衣人、紺毛覆体。

旅人は、

異之、再拝問道。其人了不相顧。

但長嘯数声、響振林木。

(不思議なことだ)

と思って岩石の上を見ると、もうその人は見えなかった。

この毛の生えたハダカの人については、別に目撃情報がある。

有一佝僂者遇之、令於道上俯拾一石以進。

「はあ」

その人がわざわざ拾って、

及起則腰膂自如。

ハダカの人の姿はもうどこにも見えなかったが、さっきまで立っていたところには、二尺の足跡が遺っていたという・・・。

まだまだたくさん目撃情報があります(不可枚挙)が、このあたりにしておきましょう。

現在は清の時代ですが、

大率毎年九月六日至九日、黄野人必出。以是日侯之、然往往見之不識云。

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清・屈大均「廣東新語」巻二十八より。長々と読んでいただきましたが、これだけのことです。残念ながら、人生や経営に対する教訓も、不思議な術の手がかりもどこにも見当たりません。みなさん、これからも日々をマジメに生きていくしかないようです。うっしっし。

確かに服も着てないじじいを見ても、ふつうは黄野人さまだとは思わずに「へんなじじいだ」と思うだけだから気づきませんよね。肝冷斎にもね。

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