11月6日 朝礼があると有益なHPなんだが

帯一官字(一の官の字を帯ぶ)(「竹窓随筆」)

むかしのおやじはしっかりしていた?みたいですよ。

おやじが立っていたら、土に潜って逃げるでモグ。われらモグラは。

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明の時代のことです。

先君子雖不仕、博学而篤行、多格言。

「中庸」第二十章に曰く、

博学之、審問之、慎思之、明弁之、篤行之。

朱子学的には「之」(これを)がポイントなんだそうです。空理空論ではない。何か実際の事物について、この五つを行うのが、「学」であるという。

閑話休題。

おやじの「いいコトバ」の中でもよく覚えているのは、

嘗謂不孝曰、帯一官字者、慎勿為之。

「不孝」は「親不孝者のわたし」という一人称の謙遜の辞。

その時、ついでに訊いてみた。

何謂帯一官字。

生意気な子どもだったんじゃろうなあ。

こんな子どもに対して、おやじがマジメに教えてくれたことには、

領官銭、織官段、中官塩、作官保、乃至入官府、為吏書、結交官人、嘱託公事之類、皆是也。

「わかりまちたー」

予再拝服膺。

「膺」(よう)は「胸」。「服膺」は、胸に服する、で心に刻んで忘れないこと。

後観親識中、坐此而敗者、十七八。

―――おれは落ちぶれない方の二~三割に入るから大丈夫だけどな。

と、みなさんは思っているかも知れませんが、どうでしょうか。

繇是推而広之、即為官、亦所不願。

息子を役人にする役人なんか二重に愚か者ですよね。そんな人いないと思うけど。

その後、わたしは出家いたしました。俗世から離れたのです。ああうれしいなあ。

又推而広之、不敢妄干有官大人。并誡徒衆、不得乞縁出入於官家、不得倚官勢与人構訟。

当時はそういうことをする僧侶がいたのでしょう。今は知りませんが。

安貧守分、倖免於大愆。雖遵持仏勅、亦素聞於庭訓也。口沢未忘、曷勝於邑。

「礼記」玉藻篇に曰く、孝行息子というものは、

父没而不能読父之書、手沢存焉爾。母没而杯圏不能飲焉、口沢之気存焉爾。

というのが「口沢」の語源です。「庭訓」は「知っているよ」という人は放っておいてください。「なんだっけ」という人は下を参照のこと。

「於邑」(おゆう)は古い楚の地方のコトバ(要するに方言)で、「気が塞ぐ」「悲しい」、転じて「憤懣やるかたなく、かっとなる」という様子を示す形容語です。

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明・雲棲袾宏「竹窓随筆」より。「官」の一字に加えて、現代では大企業や株・土地取引やテレビに出ることなども避けるべきですが、今のおやじは教えてくれるかな?

「庭訓」(おやじの、または家庭の教え)について。

「論語」季氏篇に曰く、

陳亢問於伯魚、曰、子亦有異聞乎。

陳亢は孔子の弟子。伯魚は、孔子の息子・孔鯉(こう・り)の字。

伯魚は答えて言った、

未也。嘗独立、鯉趨而過庭、曰、学詩乎。対曰、未也。

すると、おやじは言いやがったのだ、

不学詩無以言。

「うるせえな、くそおやじ、聖人づらしやがって」

とは言えませんので、

「は、はい」

と答え、

鯉退而学詩。

他日、又独立。鯉趨而過庭、曰、学礼乎。対曰、未也。

すると、おやじは言いやがったのだ、

不学礼無以立。

「は、はい」

そこで、

鯉退而学礼。

聞斯二者。

陳亢はその場をひきあげて、にやにやした。

問一得三。

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