帯一官字(一の官の字を帯ぶ)(「竹窓随筆」)
むかしのおやじはしっかりしていた?みたいですよ。

おやじが立っていたら、土に潜って逃げるでモグ。われらモグラは。
・・・・・・・・・・・・・・・
明の時代のことです。
先君子雖不仕、博学而篤行、多格言。
先君子は仕えずといえども、博学にして篤行、格言多し。
先君子(死んだおやじ)は、役人になんかなったことはないが、(「中庸」にいうように)博く学び行いを篤実にした読書人で、いいコトバをたくさん知っていた。
「中庸」第二十章に曰く、
博学之、審問之、慎思之、明弁之、篤行之。
博くこれを学び、審らかにこれを問い、慎んでこれを思い、明らかにこれを弁じ、篤くこれを行え。
広くそのことを学べ。詳細にそのことを質問しろ。慎重にそのことを考えろ。はっきりとそのことを弁えろ。真剣のそのことを実行せよ。
朱子学的には「之」(これを)がポイントなんだそうです。空理空論ではない。何か実際の事物について、この五つを行うのが、「学」であるという。
閑話休題。
おやじの「いいコトバ」の中でもよく覚えているのは、
嘗謂不孝曰、帯一官字者、慎勿為之。
嘗て不孝に謂いて曰く、「一の官の字を帯ぶるものは、慎んでこれを為すこと勿かれ」と。
「不孝」は「親不孝者のわたし」という一人称の謙遜の辞。
あるとき、わしに教えてくれた、「「官」という一つの文字がひっついたものは、慎重に避けて、絶対に関わってはならんぞ」というコトバだ。
その時、ついでに訊いてみた。
何謂帯一官字。
何をか「一の官の字を帯ぶ」と謂うや。
「「官」という一つの文字がひっついたもの」というのは、具体的にはどんなものなのでちゅかな?」
生意気な子どもだったんじゃろうなあ。
こんな子どもに対して、おやじがマジメに教えてくれたことには、
領官銭、織官段、中官塩、作官保、乃至入官府、為吏書、結交官人、嘱託公事之類、皆是也。
官銭を領し、官段を織り、官塩を中し、官保を作し、乃至は官府に入り、吏書と為り、官人と結交し、公事を嘱託せらるの類、みなこれなり。
「お役所がらみのおカネを扱うこと、お役所に納入する絹や布を製造すること、専売の塩の仲買人になること、役所の下請けをすること、さらには、お役所に出入りすること、下っ端役人になること、お役人と交際し、お役所の仕事を委託されること、これらはみんな、それじゃ」
「わかりまちたー」
予再拝服膺。
予、再拝服膺す。
「膺」(よう)は「胸」。「服膺」は、胸に服する、で心に刻んで忘れないこと。
わしは、二回頭を下げ、心に刻み込んだのじゃった。
後観親識中、坐此而敗者、十七八。
後、親識中を観るに、これに坐して敗るる者、十に七八なり。
その後、親類や知り合いたちを見てきたところでは、この教訓に随わずに官に関与した者は、十人に七~八人は落ちぶれてしまった。
―――おれは落ちぶれない方の二~三割に入るから大丈夫だけどな。
と、みなさんは思っているかも知れませんが、どうでしょうか。
繇是推而広之、即為官、亦所不願。
これに繇(よ)りて推してこれを広むるに、即ち官を為すこと、また願わざるところなり。
このことから推察して考えてみるに、お役人になるのは、絶対に避けなければならないことである。
息子を役人にする役人なんか二重に愚か者ですよね。そんな人いないと思うけど。
その後、わたしは出家いたしました。俗世から離れたのです。ああうれしいなあ。
又推而広之、不敢妄干有官大人。并誡徒衆、不得乞縁出入於官家、不得倚官勢与人構訟。
また推してこれを広むるに、あえて妄りに有官の大人に干(かか)わらざれ。あわせて徒衆に誡しむるに、縁を乞いて官家に出入するを得ざれ、官勢に倚(よ)りて人と訟を構うを得ざれ。
また、推察して考えてみるに、不必要に官職についているおえら方に関係を持たないように。弟子の僧侶たちにはさらに戒めていることであるが、役所や役人の家にコネを探して出入りしてはならない。お役人の威勢を利用して他人と争ってはならない。
当時はそういうことをする僧侶がいたのでしょう。今は知りませんが。
安貧守分、倖免於大愆。雖遵持仏勅、亦素聞於庭訓也。口沢未忘、曷勝於邑。
貧に安んじ分を守れば、倖(さいわ)いに大愆を免れん。仏勅を遵持するといえども、またもと庭訓に聞きしなり。口沢(こうたく)いまだ忘れず、曷(なん)ぞ於邑(おゆう)に勝えんや。
(そんなやつらと縁を持たずに)貧乏に安んじ、自らの分を守って生きていけば、うまくいけば重罪に陥らずに人生を全うすることができるであろう。このこと、ブッダ(釈迦牟尼)の教えに従えば当たり前のことであるが、わしにとってはもとはおやじに教えてもらったことじゃ。おやじのくちびるの脂まで、今も思い出すことができる。このコトバを思い出すたびに、どうして悲しみがバクハツするのをガマンすることができようか。
「礼記」玉藻篇に曰く、孝行息子というものは、
父没而不能読父之書、手沢存焉爾。母没而杯圏不能飲焉、口沢之気存焉爾。
父没しては父の書を読む能わず、手沢これに存すればのみ。母没して杯圏を飲む能わず、口沢の気これに存すればのみ。
おやじが死んだ後、おやじの読んでいた本を読もうとして―――読むことができないものだ。おやじの手の脂がまだそこに遺っているから。おふくろが死んだ後、おふくろの使っていた湯呑みで何かを飲もうとして―――飲むことができないものだ。おふくろのくちびるの脂の気配がまだそこに遺っているから。
というのが「口沢」の語源です。「庭訓」は「知っているよ」という人は放っておいてください。「なんだっけ」という人は下を参照のこと。
「於邑」(おゆう)は古い楚の地方のコトバ(要するに方言)で、「気が塞ぐ」「悲しい」、転じて「憤懣やるかたなく、かっとなる」という様子を示す形容語です。
・・・・・・・・・・・・・・・
明・雲棲袾宏「竹窓随筆」より。「官」の一字に加えて、現代では大企業や株・土地取引やテレビに出ることなども避けるべきですが、今のおやじは教えてくれるかな?
「庭訓」(おやじの、または家庭の教え)について。
「論語」季氏篇に曰く、
陳亢問於伯魚、曰、子亦有異聞乎。
陳亢、伯魚に問うて曰く、「子もまた異聞有るか」と。
陳亢は孔子の弟子。伯魚は、孔子の息子・孔鯉(こう・り)の字。
陳亢が、孔子の息子の孔伯魚に訊ねた。
「(一子相伝の教えが世の中にはたくさんありますが)あなたも、やはり特別な秘伝を教えられているのですか」
伯魚は答えて言った、
未也。嘗独立、鯉趨而過庭、曰、学詩乎。対曰、未也。
いまだしなり。嘗て独り立ち、鯉趨(はし)りて庭を過ぎるに、曰く、「詩を学びしか」と。対して曰く「いまだしなり」と。
まだ教えてもらったことはございません。以前、おやじ(孔子)が縁先に一人で立っていたとき、その前の庭を小走りに通り過ぎようとした時に、呼び止められたことがあります。おやじが言うには、「詩経について学んだか」と。わたしは答えました、「まだです」と。
すると、おやじは言いやがったのだ、
不学詩無以言。
詩を学ば坐れば以て言う無し。
「詩経を学んでいないと、会話ができんぞ」
「うるせえな、くそおやじ、聖人づらしやがって」
とは言えませんので、
「は、はい」
と答え、
鯉退而学詩。
鯉退きて詩を学べり。
わたし、鯉は、部屋に戻って詩経を勉強しはじめました。
他日、又独立。鯉趨而過庭、曰、学礼乎。対曰、未也。
他日、また独り立つ。鯉趨りて庭を過ぎるに、曰く、「礼を学びしか」と。対して曰く「いまだしなり」と。
しばらくして、また縁先におやじが一人で立っていた。わたしはその前の庭を小走りで通り過ぎようとして、またおやじに呼び止められました。「礼を学んだか」と。わたしは答えました、「まだです」と。
すると、おやじは言いやがったのだ、
不学礼無以立。
礼を学ばざれば以て立つ無し。
「礼を学んでいないと、一人で何かをすることができんぞ」
「は、はい」
そこで、
鯉退而学礼。
鯉退きて礼を学べり。
わたし、鯉は、部屋に戻って礼の勉強をはじめました。
聞斯二者。
この二者を聞けり。
「今のところ、この二つのことを聴いただけです」
陳亢はその場をひきあげて、にやにやした。
問一得三。
一を問いて三を得たり。
「ひひひ、一つ質問をしたら、三つのことを学ぶことができたぞ」
・・・さて、この「三つのこと」とは何でしょう。明日までに考えておいてください。おやじのいるやつはおやじに訊いてみてもいいです。もちろんおふくろでも。