11月29日 自分の腹の出方はみえるが

目短於自見(目は自見するに短し)(「韓非子」)

命も短しです。なんとかして遊ばなければ。

戦国時代のような厳しい時代だ、見つからないように闇に紛れて生き抜くしかない。

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こちらはチュウゴクの戦国時代の本によりますと、

古之人、目短於自見。故以鏡観面。

紀元前三世紀の人が「いにしえの人」と言っているんだから、すごいいにしえの人だということが理解できよう。しかし、今のひととは違うのであろうか。

智短於自知。故以道正己。

故、鏡無見疵之罪、道無明過之怨。

これはわかります。忠告をしてもらったときに忠告をする人を怒ったりする人はオロカ者です。それもわからんやつが世の中にはいますからなあ、われわれのように賢者になってもらいたいものだね。がはははは・・・え? わしが傲慢だと! うるさい!

それはそうとしまして、

目失鏡則無以正鬚眉、身失道則無以知迷惑。

「迷惑」を知らなければいい状況じゃないですか、というのは素人。

そこで、

西門豹之性急、故佩韋以緩己。

董安于は、「春秋左氏伝」や「国語」に出て来る戦国初期の晋(趙)の名臣です。最後は国家と主君の安寧のために自殺してしまうという超絶賢者だ。ああみなさんもどんな人が知りたいだろうなあ。教えてあげたいなあ。しかし本日は詳細には触れません。

勉強になりますね。「西門豹佩韋」と「董安于佩弦」です。十回ぐらい書き取りして覚えてくだされよ。

故以有余補不足、以長続短。

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「韓非子」巻八「観行篇」より。わたしは佩韋より佩弦するといいはずですが、緊張するのイヤなのでやっておりません。

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