無可異者(異とすべきもの無し)(「鐙窗瑣話」)
変な人だと思ったが普通だった人も時々いますが、普通だと思ったら変な人だった方がずっと多い。

つぼに住んでいるタコは普通だが、つぼに住んでいる人間がいたら記録に残るかも。
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清の時代、浙江・嘉興のひと、
陳板橋錦、東方三異人之一也。
陳板橋・錦は、東方三異人の一なり。
板橋先生・陳錦は、ご承知のとおり、東方(長江の河口より東≒南岸、要するに南京とか浙江)の三変人の一人である。
他の二人のうち、一人は姚鉄生。もともと読書人として科挙試験を目指していたらしいのですが、突然筆硯を放り出して、
嘗従軍有功、授職武官、以酒失事。幾獲罪、踉蹌万里徒歩而帰。
嘗て従軍して功有り、授職武官となるも、酒を以て事を失う。ほとんど罪を獲んとして、踉蹌(ろうそう)として万里を徒歩して帰る。
兵隊になって出陣、軍功あって将校に任命されたが、酒のせいで大失敗、軍法会議に掛けられそうになって、ふらふらと西域から一万里の距離を歩いて帰ってきた。
至襪爛於足、翦不可脱。
襪、足に爛るるに至り、翦れども脱すべからず。
くつしたが足に食い込んで腐ってしまい、はさみであちこち切ってみたが、とうとう脱げなくなってしまった。
それでいつも足にぼろ布を巻いて歩いていたので有名だった。
一為某、亦書生、家故饒、人見其衣、襤褸如丐。不与世接、不知其中如何。
一は某たり、また書生、家もと饒(ゆた)かなれども、人その衣を見るに、襤褸(らんる)丐のごとし。世と接さざれば、その中の如何なるを知らず。
いま一人は某(名前不明)、やはり読書人崩れであった。実家はもとは財産家であったが、彼の着ているものはといえば、乞食のようなボロであった。ただし、世間付き合いというものをしない人だったので、内面がどんな人であったかはわからない。
もう一人が陳板橋先生である。
板橋刻有蘭芳堂集、詩和平無可異者。
板橋、刻して「蘭芳堂集」有り、詩和平にして異とすべきもの無し。
陳板橋には、自費出版した「蘭芳堂集」という詩集があった。その詩は温和で平穏で、どこにも変なところは無かった。
〇道親物自疏、真隠離塵俗。(陸魯望故居)
道親しめば物おのずから疏、真隠は塵俗を離る。
タオの教えに親しめば親しむほど、他の人や物との関係は粗略になるもので、本当の隠者は世俗の塵を離れてしまう。(「陸魯望の故(ふる)き居にて」)
〇菜甲緑斉野、桃花紅満村。(春日田家)
菜甲、緑は野に斉しく、桃花、紅は村に満つ。
菜葉の芽の緑が野原いっぱい等しく埋め尽くし、桃の花の赤が村に満ち溢れている。(「春の日の田舎屋敷」)
〇掩巻窗前人独坐、挑灯簾外月微明。(秋夜聞蛩)
巻を掩いて窗前に人独り坐し、灯びを挑(かか)ぐれば簾外に月微かに明るし。
巻物を閉じ(読書を休息し)て窗の前に、わしは一人座っている。灯火を上に向けてみるとカーテンの向こうには、月の光がうっすらと。(「秋夜、コオロギを聞く」)
〇一種秋声聴不得、凄涼閑話半閒堂。(過葛嶺)
一種の秋声に聴くことを得ず、凄涼の閑話、半閒の堂。
(峠を吹く)秋風の音に聞こえなかった、(通り過ぎた)小さなお堂でのさびしげな会話が。
など、人柄を知らなければ、たいへん温和な人と思ったであろう。
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清・于源「鐙窗瑣話」巻一より。よっぽど有名な人だったらしく、行動や性格については何も書いてないんです。あとの二人から類推してみるしかありません。