不可理暁(理の暁らかにすべからざるあり)(「茶余客語」)
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唐開元初、有人上言往獅子国求霊薬。
唐の開元の初め、人の獅子国に往きて霊薬を求めんと上言する有り。
唐の開元年間(713~741)の初めごろ、皇帝に向かって「獅子国に行って不思議な薬を求めてきたいと存じます」と申し上げた者があったという。
時は有名な玄宗皇帝の時代でございます。帝は言った、
「獅子国とはどこにあるのか」
其国在天竺、居西南海中、旧無人民、止有鬼神及龍、以馴養獅子得名。
その国、天竺に在り、西南海中に居りて、もと人民無く、ただ鬼神及び龍有りて、獅子を馴養するを以て名を得たり。
「その国はヒンドスタンの彼方、大唐帝国より西南のはるか海中にございまして、もともとは人間は住んでおりませんでした。では何が住んでおったかといいますと、精霊と龍の棲み処、ライオンが大人しく飼われていたというので、獅子の国と名付けられたのでございます」
この国には、
諸国商賈往与貿易。鬼神不見其形、但出珍宝、題其所値、商賈依価取之。
諸国の商賈往きてともに貿易す。鬼神その形を見(あらわ)さず、ただ珍宝を出だし、その値するところを題するに、商賈価に依りてこれを取る。
各国の商人たちが出かけて行って、精霊たちと貿易を行った。精霊たちはその姿を現わすことなく、ただ珍しい宝玉が海岸に並べられ、その値段が書かれている。商人たちはその値の黄金をそこに置いて、交易品を手にするのである。
いわゆる「沈黙交易」が為されておったというのです。
しかしそれは昔のこと、
其地和適、無冬夏之異、諸国人聞其楽土競往、遂成大国。
その地和適、冬夏の異無く、諸国人その楽土たるを聞きて競いて往き、遂に大国と成る。
その地は和やかで心地よく、冬と夏の交代が無い(常春の国なのです)。各国の人たちはその地が楽土であると聞いて、争って移住し、今は多くの人口を擁する大国となった。
此即仏経所言天竜夜叉之属。
これ即ち仏経に言うところの天竜夜叉の属ならん。
かつてこの地に住んでいた者たちこそ、仏教経典にいう「天・龍・夜叉」(神々、龍、悪鬼)の類であったのだろう。
「うむ、では行ってまいれ」
皇帝は獅子国に行こうという者に、手厚く餞別を与えた。
すると、別の男が言った、
又聞廣東民与海神市者、造舟海上、以貨置舟中、焚契于岸、縦舟而去。
また聞く、広東民の海神と市する者は、海上に舟を造り、貨を以て舟中に置きて、岸において契を焚き、舟を縦ままに去らしむなり。
「わたしはこんなことを聞きました。廣東には海の神と交易している者がいる、と。彼らは、海のほとりで舟を造り、その中に交易品を置いた上、海岸で注文書を焼くのです。それから交易品を積んだ舟を海に流し、あとは流れに任せて漂よわせるのです。
やがて
如期而舟来、所命貨物与原契不爽。亦獅子国之類也。
期の如くして舟来たり、貨物を命ずるところ原契と爽(たが)わず。また獅子国の類か。
予定どおりの時期になると、舟が戻ってきます。舟には向こうからの交易品が乗せられており、いつも海岸で焼いたはずの注文書どおりになっているという。これはまた、獅子国と同じ仕組みでありましょうか」
「うーん」
玄宗皇帝は首をひねった。
「焼いた注文書どおりということはないじゃろう。ちょっと有り得んなあ」
そのひとは慌てて言った、
天下事有不可理暁者。
天下の事、理の暁らかにすべからざるもの有り。
「この世のことには、理屈では明らかにならないようなことが、よくあるものでございます」
と。
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清・阮葵生「茶余客話」巻十五より。理屈では割り切れない不思議なことがあるのはわかりますが、後者はさすがにあり得ないなあ。前者は「今はちがいますけどね」とか「あのインドですからね」とか巧妙な伏線が張り巡らされていますから、本当のことだと思います。稼げそうですよ。