11月26日 動物占いだけは今も信じている

不許軽改(軽改を許さず)(「水東日記」)

いろんな本を読むと、むかしの人は賢かったようです。・・・待てよ、現代はそれよりも進歩しているのですから、すごく賢いはず。なのに、なぜ・・・。

現役時代に職場で生き残るために作った「舞踏会のお相手占い」のキャラの一部。32人の令嬢の中から10円玉を5回振ってお相手一人を選ぶと、愛情運、金運、食事運などがわかるという優れものとして作られました。だが、わたしが作ったというだけ?で評価されず、不採用に。

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最近では我が国本土でも風水術(地理学(←もともとはこういう意味だったんです)、堪輿学などとも呼ばれます)が流行りですね。現代日本本土では「インテリアを変えて運勢も替えよう」「鬼門に玄関・トイレを作るとは!」などという「陽宅風水術」(生きている人間の生活環境学≒家相学)が中心ですが、チャイナ本土、香港、台湾、朝鮮、九州西部・沖縄などでは、「陰宅風水術」(死んだ祖先の祀り場所による生きている人への影響≒墓相学)が中心に議論、実行されてまいりました。現代でも、チャイナ本土の特に福建や廣東ではこの議論が大変盛んと聞きます。自分がマトモな人だと思っている人は、

「そんなの非科学的だね」

と言いたいと思います。わたしもそう思いますが、あんまり明確にバカにしていると「いろいろ証拠もあるのだ」と言って、あとで逆襲されるかも知れないので、じっとしています。

清の時代の記録ですが、

東広人言其地有宋墳、無唐墳。蓋自宋南渡後、衣冠家多流落至此、始変其俗事喪葬也。

これを決定づけたのは、南宋の嘉定年間(1208~24)に江南からやってきた「厲布衣」(無官の厲さん)の事績である。

厲布衣者精地理之学、名傾一時。

有経其葬、至今故老猶能言。

最近ではこんなことがあった。

広州林某者、宋元富家、永楽初中衰。以術者言祖穴向稍偏所致。

因発地而得石。

文字が刻み込んである。読んでみます。

布衣厲伯韶為林某葬此千載谷食之地後学浅識不許軽改

読み下してみます。

「伯韶」という名前だったんですね。

徐視之、蓋下向与土封微不同耳。遂揜之。

今林氏頗振、庚午挙人林汝思、林廷輝皆其族也。

・・・というふうに風水の術に効果があることは、事実を以て証明されているのです。「千年保証」だから、まだあと200年ぐらいは穀物が食えるぐらいは栄え続けていることでしょう。

ちなみに、みなさん事実を確認しようと、広東で「厲布衣のことですが・・・」とインタビューしてみてもみな首をかしげると思います。

広人土音称頼布衣云。

このため、字義と混乱して「頼りのおじさん」と理解されてしまっているので。

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明・葉盛「水東日記」巻十四より。この「日記」は景泰(1450~1456)から成化年間(1465~87)の初めに完成したと思われます(著者の葉盛は成化十年(1474)満五十四歳で死去)ので、ほぼ同時代の記録ですから科学的です。科学というコトバの定義によっては、ですけど。

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