人天師範(人天の師範)(「清通鑑」)
毎日毎日少しづつ「清通鑑」を読んでおります。今日は雍正四年(1726)の年末まで終わりました。

権威に立てついたりしてると、そのうちオシャカにされるぞ。
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雍正帝の即位前後の行動、すなわち兄弟たち、功臣たち、さらに実母や息子までコロし、あるいは自殺に追いやって帝位を固めていく「鉄腕」にはいたく感心しました。すばらしい。すてき。ワンダフル! 本当に日本人でよかった、と思わされます。
だいたい一通りコロし終わったころ、雍正四年丙午十二月初八日、大覚寺僧・性音に国師の号を追贈した。
性音、雍正帝在藩邸時相善之僧人。
性音は、雍正帝の藩邸に在りし時の相善の僧人なり。
性音というのは、雍正帝がまだ親王として市内の邸宅に住んでいたころの知り合いの僧侶である。
ということは、教えなどを通じて帝の果断酷薄の政治姿勢に何らかの寄与するところもあったかも知れません。
親王時代、性音のために北京西山の大覚寺を修理してその居所とし、
且称其深悟円通、能闡微妙、其人品見地超越諸僧之上。
かつその深悟円通にしてよく微妙を闡(ひら)き、その人品見地、諸僧の上に超越す、と称す。
そのころは、「師の深い悟りと弾力的な思想、よくかすかなところをはっきり教える能力など、その人品と見地は僧侶たちの上に大きく超越しているのだ」と称賛した。
迨御極、命其帰隠廬山帰宗寺。
御極に迨(およ)びて、その廬山帰宗寺に帰隠するを命ず。
帝は即位すると、性音に、廬山の帰宗寺に隠れ住むように命じた。
性音謹守律規、謝絶塵境、至是円寂。
性音律規を謹守、塵境を謝絶して、ここに至りて円寂せり。
性音は僧侶の規律を謹み守り、世俗からのお声がけをすべてお断りしていたが、ついにお亡くなりなった。
「円寂」(えんせき)は高僧の死のこと、まるまると円満に消える。
奉旨追贈性音国師、并予諡号為円通妙智大覚禅師、修塔建碑、其語録著入蔵経。
旨を奉じて性音に国師を追贈し、并せて諡号を予えて「円通妙智大覚禅師」と為し、塔を修め碑を建て、その語録、蔵経に著入せしむ。
帝の御意志により、性音には「国家の師匠」の官位が追贈され、また、死後のおくり名として「すべてに通じてすばらしい知恵を持つ、大いに覚ったお師匠様」が与えられた。遺骨を納める塔が造られ、その事績を記した碑を建てた。そして、禅師の「語録」は仏教のすべての経典を集めた「大蔵」の中に加えられた。
さらに、翌雍正五年十一月、帝は、
命将其霊龕搬取進京。
命じてその霊龕を将きいて搬取して京に進めしむ。
位牌や遺骨を納めた仏壇を、(廬山から)北京に持ってくるよう命じた。
その交通路は掃き清められ、北京門外で大官らが出迎える盛大な行事となったのである。
・・・ところがその数年の後、
帝又諭。
帝また諭す。
雍正帝は今度はこんなみことのりを出した。
性音品行不端、好干世法、其語録亦多含糊之処、実非徹底利生之作。性音実不能為人天師範。
性音品行端ならず、世法を干し、その語録また含糊の処多く実に徹底して利生するの作に非ず。性音実に人天の師範たること能わざるなり。
「含糊」(がんこ)は文字どおりです。「糊を含む」。糊を口の中に含んだように言うことがはっきりしない、の意。
性音という僧は品行があまり正しくなかった。(僧侶としての規律はともかく)世俗の法を干犯することが多かった。また、その「語録」はなんだか口の中がねちゃねちゃしたかのような言い澱んだところが多い。何か世間に含むところがあったのであろう。決してすべてが人々の役に立つ、という本ではない。性音という僧はせんじ詰めれば、人間と天上世界(をはじめとする六道を輪廻するすべての生命体)の師匠、オシャカさまのような立派な方ではないのだ。
と言い出して、
令削其封号、語録搬出蔵経。
その封号を削り、語録は蔵経より搬出さる。
贈られた号が削られ、語録は「大蔵」の経典から取り外されてしまった。
おそらく遺品を持って来させて日記類でも読んでいるうちに、自分への悪意を読み取った・・・みたいなところかと思いますが、国益に反するものは宗教も学問も許さないとはさすがだ。ワンダフル!
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「清通鑑」巻八十三より。もとは「雍正帝起居注」に書いてあることだそうです。死んだら人権も名誉権も個人情報保護権もなくなるそうですから、死んだあとの呼び名を下っ端にされたぐらい、あわてない、あわてない。