11月25日 政教関係というほどでもないか

人天師範(人天の師範)(「清通鑑」)

毎日毎日少しづつ「清通鑑」を読んでおります。今日は雍正四年(1726)の年末まで終わりました。

権威に立てついたりしてると、そのうちオシャカにされるぞ。

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雍正帝の即位前後の行動、すなわち兄弟たち、功臣たち、さらに実母や息子までコロし、あるいは自殺に追いやって帝位を固めていく「鉄腕」にはいたく感心しました。すばらしい。すてき。ワンダフル! 本当に日本人でよかった、と思わされます。

だいたい一通りコロし終わったころ、雍正四年丙午十二月初八日、大覚寺僧・性音に国師の号を追贈した。

性音、雍正帝在藩邸時相善之僧人。

ということは、教えなどを通じて帝の果断酷薄の政治姿勢に何らかの寄与するところもあったかも知れません。

親王時代、性音のために北京西山の大覚寺を修理してその居所とし、

且称其深悟円通、能闡微妙、其人品見地超越諸僧之上。

迨御極、命其帰隠廬山帰宗寺。

性音謹守律規、謝絶塵境、至是円寂。

「円寂」(えんせき)は高僧の死のこと、まるまると円満に消える。

奉旨追贈性音国師、并予諡号為円通妙智大覚禅師、修塔建碑、其語録著入蔵経。

さらに、翌雍正五年十一月、帝は、

命将其霊龕搬取進京。

その交通路は掃き清められ、北京門外で大官らが出迎える盛大な行事となったのである。

・・・ところがその数年の後、

帝又諭。

性音品行不端、好干世法、其語録亦多含糊之処、実非徹底利生之作。性音実不能為人天師範。

「含糊」(がんこ)は文字どおりです。「糊を含む」。糊を口の中に含んだように言うことがはっきりしない、の意。

と言い出して、

令削其封号、語録搬出蔵経。

おそらく遺品を持って来させて日記類でも読んでいるうちに、自分への悪意を読み取った・・・みたいなところかと思いますが、国益に反するものは宗教も学問も許さないとはさすがだ。ワンダフル!

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「清通鑑」巻八十三より。もとは「雍正帝起居注」に書いてあることだそうです。死んだら人権も名誉権も個人情報保護権もなくなるそうですから、死んだあとの呼び名を下っ端にされたぐらい、あわてない、あわてない。

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