11月24日 みなさまお世話になりました

吹呉市簫(呉市の簫を吹く)(「右台仙館筆記」)

いつまでも呉市の簫を吹いているわけにもいけませんでのう。

おまじょに捕まると飯を食わせるどころかおなべに入れられてしまうぞ。

・・・・・・・・・・・・・・・・

清も終わりに近いころ、

有丐者乞食於呉市。

ある日、町中の店舗を回りながら銭か食を乞うていると、突然、

有武弁遇之。

「武弁」の「弁」は武官のかぶる冠のことです。そこから、「武弁」さらには「弁」で「武官」の意になります。

すれ違いざま、武官は驚いたような顔でコジキの顔を見、問うてきた。

子非某郷某氏子乎。

えらく丁寧な物言いである。コジキは

然。

と答えた。

武官は言った、

吾嘗受子之恵、今何一寒至此。

「へ、へえ・・・」

武官は怖じるコジキの手を取って一軒の茶店に連れて行き、

使之啜茗、小坐以待、未幾取衣服帽履而至、悉与易之。

それから、

於懐中出銀十余両、与之。

十五万円ぐらいでしょうか。

そして、言った。

子有此、可作帰計。勿久吹呉市簫也。

いつまでもこの町にいてはいけない、と意で「久しく〇〇の簫を吹くなかれ」という言い方はこれまで見たことがありませんでした。清代の言い方なのかと思いますがカッコいいですね。

丐者茫然不測所自来、向弁問故。

武官は頷いて、言った。

事雖久遠子忘之、我不敢忘也。

竟別去。

結局、理由はわからない。

それにしても、じゃ、

此弁感恩報徳、殊有風義。使其得志、則淮陰侯之一飯千金、豈所難哉。

以上。いいお話でした。

「淮陰侯の一飯千金」とは、「史記」淮陰侯列伝に曰く―――

淮陰侯・韓信は若いころ、一文無しで、袴下匍匐(また潜り)の屈辱を受けながら、下郷の城下で飢えを満たすために釣りをしていたとき、川で布を晒す労働(「漂」)をしていたおばちゃん(漂母)たちの一人が、

見信飢飯信、竟漂数十日。

信喜謂漂母、吾必有以重報母。

母怒曰、大丈夫不能自食、吾哀王孫而進食。豈望報乎。

やがて韓信は漢の高祖に従って出世し、この地の王となって帰ってくると、早速、

召所従食漂母、賜千金。

という故事を踏まえています。いい話ではありませんか。わしも若いころ食わせてもらった飯のことは深く思い出します。食わせてくれた相手はあんまり思い出せませんが。

しかしこれだと数十日分の数十食食ってますので、一飯千金ではなく、一飯三十金ぐらいではないか、と反論もしてみたくなります。なりませんか。そうか、やはりわたしは少しみなさんより意地汚いのでしょう。傷ついた。もうこんな東京になんかいたくはないぜ。

・・・・・・・・・・・・・・・

清・兪樾「右台仙館筆記」巻三より。はじめは幻や前世の入り混じった不思議な物語―――かと思いましたが、飯の思い出のように、相手にとっては大したことが無いことでも、その時のこちらの状況ではたいへんありがたかった、という経験が誰にもいくつかありますでしょう。その人が落ちぶれていなければいいのですが、落ちぶれていたら助けねばなりません。

・・・わしも町中をこつじきして歩く時が間もなく来ましょうが、そのとき、かつてクリッピーを与えた地域ネコが通りかかるかも知れニャイ。ネコは「おお、あのときはお世話になりましてニャア」と言い、わしの手に肉球でぽんぽんと触れた(ネコの握手である)後、

「じゃあニャ。ニンゲンのカネは持ってニャイのでニャ」

と別れ去ってしまうであろうか。

ホームへ
日録目次へ