吹呉市簫(呉市の簫を吹く)(「右台仙館筆記」)
いつまでも呉市の簫を吹いているわけにもいけませんでのう。

おまじょに捕まると飯を食わせるどころかおなべに入れられてしまうぞ。
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清も終わりに近いころ、
有丐者乞食於呉市。
丐(かい)者の、呉市に乞食する有り。
浙江・呉の街に、乞食をしているコジキがいた。
ある日、町中の店舗を回りながら銭か食を乞うていると、突然、
有武弁遇之。
武弁有りてこれに遇う。
「武弁」の「弁」は武官のかぶる冠のことです。そこから、「武弁」さらには「弁」で「武官」の意になります。
一人の立派な武官と行き過ぎあった。
すれ違いざま、武官は驚いたような顔でコジキの顔を見、問うてきた。
子非某郷某氏子乎。
子は某郷の某氏の子にあらずや。
「あ、あなたは、何とか村の何とか家の人ではございませんか」
えらく丁寧な物言いである。コジキは
然。
然り。
「へえ。そうですだ」
と答えた。
武官は言った、
吾嘗受子之恵、今何一寒至此。
吾、嘗て子の恵を受く、今何ぞ一寒ここに至れるや。
「わたしは、かつてあなたに救けていただいた。あなたは今、どうしてこんなにおつらいことになっているのか?」
「へ、へえ・・・」
武官は怖じるコジキの手を取って一軒の茶店に連れて行き、
使之啜茗、小坐以待、未幾取衣服帽履而至、悉与易之。
これをして茗を啜らしめ、小坐以て待つに、いまだ幾ばくならずして衣服帽履を取りて至り、悉く与えてこれに易(か)う。
コジキに一杯のお茶を飲ませてしばらく待たせ、それほど時間を置かずに服と帽子とくつを持って来て、すべてこれに着替えさせた。
それから、
於懐中出銀十余両、与之。
懐中より銀十余両を出だして、これに与う。
ふところから銀十余両を出してきて、これをくれた。
十五万円ぐらいでしょうか。
そして、言った。
子有此、可作帰計。勿久吹呉市簫也。
子これ有れば、帰計を作すべし。久しく呉市の簫を吹くなかれ。
「あなたにこれだけのおカネがあれば、郷里にお帰りになる算段もできましょう。いつまでのこの呉の街でふえを吹いて暮らしていてはいけません」
いつまでもこの町にいてはいけない、と意で「久しく〇〇の簫を吹くなかれ」という言い方はこれまで見たことがありませんでした。清代の言い方なのかと思いますがカッコいいですね。
丐者茫然不測所自来、向弁問故。
丐者、茫然として自来するところを知らず、弁に向かって故を問う。
コジキは、いったいどういう事情でこんなふうにしてくれるのか、ぼんやりともわからず、武官に向かって理由を問うた。
武官は頷いて、言った。
事雖久遠子忘之、我不敢忘也。
事久遠にして子これを忘るといえども、我あえて忘れざるなり。
「あのことはもうずいぶん昔のことで、あなたはお忘れなのでしょう。けれどわたしが忘れられるはずはありません」
竟別去。
ついに別去せり。
そして、別れた。
結局、理由はわからない。
それにしても、じゃ、
此弁感恩報徳、殊有風義。使其得志、則淮陰侯之一飯千金、豈所難哉。
この弁の恩に感じて徳に報ずる、ことに風義有り。その志を得しむれば、すなわち淮陰侯の一飯千金もあに難しとするところならんや。
この武官の、恩義に感じ徳に報いようとする姿勢は、特に義理堅くカッコいい。この人にもし思い通りに出世させてやれたら、淮陰侯・韓信が一回の食事について千金(一千万円)のお返ししたようなことも、決して難しいことと思わずにすることであろう。
以上。いいお話でした。
「淮陰侯の一飯千金」とは、「史記」淮陰侯列伝に曰く―――
淮陰侯・韓信は若いころ、一文無しで、袴下匍匐(また潜り)の屈辱を受けながら、下郷の城下で飢えを満たすために釣りをしていたとき、川で布を晒す労働(「漂」)をしていたおばちゃん(漂母)たちの一人が、
見信飢飯信、竟漂数十日。
信の飢うるを見て信に飯し、漂を竟うるまで数十日なり。
韓信が腹を減らしているのを見て、韓信に飯を食わせてやった。布晒しの作業が終わるまで数十日の間であった。
信喜謂漂母、吾必有以重報母。
信、喜びて漂母に謂う、「吾、必ず重きを以て母に報ずる有らん」と。
韓信は喜んで、おばちゃんに言った、「おれは、必ずおばちゃんにどえらいでかいお礼をするからな」と。
母怒曰、大丈夫不能自食、吾哀王孫而進食。豈望報乎。
母怒りて曰く、大丈夫自食するあたわず、吾王孫を哀れみて食を進むのみ。あに報を望まんや。
おばちゃんは怒って言った。
「いい若い者が自分でおまんまも食えないでいるんだ、あたしは、王家の子孫のように立派な若い衆(皮肉である)がかわいそうでメシを食わせてやっただけだ。お礼なんてもらおうなんて思っちゃいないよ」
やがて韓信は漢の高祖に従って出世し、この地の王となって帰ってくると、早速、
召所従食漂母、賜千金。
従いて食するところの漂母を召して、千金を賜う。
ひっついて食わせてもらった布晒しのおばちゃんを召し出して、千金のおカネを下賜したのでった。
という故事を踏まえています。いい話ではありませんか。わしも若いころ食わせてもらった飯のことは深く思い出します。食わせてくれた相手はあんまり思い出せませんが。
しかしこれだと数十日分の数十食食ってますので、一飯千金ではなく、一飯三十金ぐらいではないか、と反論もしてみたくなります。なりませんか。そうか、やはりわたしは少しみなさんより意地汚いのでしょう。傷ついた。もうこんな東京になんかいたくはないぜ。
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清・兪樾「右台仙館筆記」巻三より。はじめは幻や前世の入り混じった不思議な物語―――かと思いましたが、飯の思い出のように、相手にとっては大したことが無いことでも、その時のこちらの状況ではたいへんありがたかった、という経験が誰にもいくつかありますでしょう。その人が落ちぶれていなければいいのですが、落ちぶれていたら助けねばなりません。
・・・わしも町中をこつじきして歩く時が間もなく来ましょうが、そのとき、かつてクリッピーを与えた地域ネコが通りかかるかも知れニャイ。ネコは「おお、あのときはお世話になりましてニャア」と言い、わしの手に肉球でぽんぽんと触れた(ネコの握手である)後、
「じゃあニャ。ニンゲンのカネは持ってニャイのでニャ」
と別れ去ってしまうであろうか。