11月22日 毎日いいことばかりだなあ・・・

言以知物(言以て物を知る)(「青箱雑記」)

めでたいめでたいと言っていれば、めでたいこともあるでしょう。

ほとけさまが何とかしてくれますよ。右下のは「やまわろ」だ。カッパのいとことに触れ込みだが、夏はカッパで冬はヤマワロになるという説もある。

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宋の時代のことですが、知識人たちの間では、よく

詩以言志、言以知物。 ・・・ ①

と言いますよね。このコトバは、

信不誣矣。

・・・というのですが、①は誰がそんなことを言っているのか。前半と後半に分けてみてみます。

〇詩以言志(詩は以て志を言う)

「尚書」(書経)舜典によれば、いにしえの聖天子・舜は、臣下の夔に向かってこう言ったそうなんです。

夔、命汝典楽。教冑子。直而温、寛而栗、剛而無虐、簡而無傲。

音楽係か。あんまり偉そうではありませんね。それにしても、「音楽でそんな風になるんですか?」と訊きたくなってきますが、むかしはそう信じられていたのです。

詩言志、歌永言、声依永、律和声。八音克諧、無相奪倫、神人以和。

―――すべておまえが掌るのだ、それを。

夔は言った、

於。予撃石拊石、百獣率舞。

ぽんぽん。この文章、ドウブツたちとともに踊った超古代の楽しい時代の思い出が溢れて、楽しさワクワクではありませんか。テントウ虫もしゃしゃり出てきそうではありませんか。

舜帝のコトバの中に、「詩言志」が出てまいります。

〇言以知物(言は以て物を知る)

「春秋左氏伝」魯昭公元年(前541)三月、魯の叔孫豹は命を受けて、虢(かく)の地において晋・楚・斉等の国々と会盟(集まって誓いを立てること)を行った。会議が終了した後、鄭の子羽は、同僚の子皮に向かって、各国の代表者たちの発言を聞いた感想を言った。

鄭の子羽は、子皮に向かって言った。

・魯の叔孫豹は、絞にして婉(厳しいが表面は柔和)

・宋の左師は、簡にして礼(ぶっきらぼうだが礼儀はある)

・楽王鮒は、字にして敬(几帳面で慎重)

・子(おまえさん)と子家は、これを持す(正反対だが引き分け)

以上の五人は

皆保世之主也。

しかし、

・斉の国子は、人に代わりて憂う(他人のことを心配している)

・陳の子招は、憂いを楽しむ(心配すること自体を楽しんでいる)

・衛の斉子は、憂うといえども害あらずとす(心配することがあっても問題はない)

この三者は、

皆取憂之道也。憂必及之。大誓曰、民之所欲、天必従之。

三大夫兆憂、憂能無至乎。言以知物、其是之謂矣。

これが「言を以て物を知る」です。これを読むと紀元前6世紀のころにはもう慣用句となっていたもののようですね。

さて――――閑話休題。宋の時代に戻ります。

江南李覯、通経術、有文章、応大科、召試第一。

このひとがこんな詩を作った。

人言日落是天涯。望極天涯不見家。堪恨碧山相掩映、碧山還被暮雲遮。

この詩について、識者(ものしりさん)が言う、

観此詩意、有重重障礙。李君恐時命不偶。

と。

後竟如其言。

確かに試験に一番で、欧陽脩に気に入られ、後輩の王安石を感動させたほどの俊才でしたが、国史館の助教を長く勤めて五十歳ぐらいで亡くなりました。上級国民の下、ぐらいの方でしょうか。

これに対して、同じ年ごろの陳堯佐という人の詩は、

千里好山雲乍斂、一楼明月雨初晴。

観此詩意、李君異矣。然則文恵致位宰相、寿余八十、不亦宜乎。

んだそうです。

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宋・呉処厚「青箱雑記」巻七より。心配なんかしてはいけません。一日中、「うひゃひゃ」と楽しくやってください。わしはもうスタグフレーションが心配で心配でしようがありませんが・・・。

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