11月21日 もうダメだ体重などが

死何如生(死、生といかんぞ)(「後漢書」)

今日はKさんIさんにご相伴して焼肉コース料理をいただいて来ました。腹いっぱいになったら自分の分を食べるのを止めて、若いお二人に食べてもらおう・・・と思っていたのに、わしが最後のビビンバの処理係まで務めることに。なぜこんなに食べてしまうのか。そのあとだいぶん歩いたのに・・・。

ネコはなかなかしにゃにゃいにょ。

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前漢の終わりころの人、向長、字は子平は、河内・朝歌のひとであった。

隠居不仕、性尚中和、好通老易。

しかし、

貧無資食、好事者更饋焉。受之取足而反其余。

漢が滅び新の王莽が立った時(9年)、大司空(宰相)の王邑が彼を招いたが、

連年乃至。欲薦之於莽、固辞乃止。

それからは、

潜隠於家、読易至損、益卦。

―――彼が読んだのは、

「損」卦辞:二簋可用享。彖伝:損益盈虚、与時偕行。

「簋」(き)は、穀物を入れる竹製の入れ物のことで、天子の宗廟では八つの簋にお供え物をするのだそうですが、それが「損」(へら)されて、

その古い注釈(「彖伝」)にいう、

というコトバと、

「益」卦辞:損上益下、民説無疆。

というコトバであろう、と推測されています。

減税とかバラマキとかすると喜ぶようです。しもじもは。上の方の人はどうなのかな。知らんけど。

―――さて、向長はこれを読んで、

歎曰、吾已知富不如貧、貴不如賤、但未知死何如生耳。

後漢・光武帝の建武年間(25~56)、

男女聚嫁既畢、勅断家事勿相関、当如我死也。

と。

於是遂肆意、与同好北海禽慶、倶游五岳名山、竟不知所終。

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「後漢書」逸民列伝より。「終わるところを知らず」に消えていくのはネコのようですばらしい。それにしても、足るを取りて余るを反す時、食べすぎて反す分が無いこともあったのでしょうか。気になる。

なお、晋・皇甫謐「高士伝」にほぼ同じお話が載っています(おそらくこちらがタネ本)が、そこでは「向長」ではなく「尚長」さんになっています。

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