11月2日 東洋・昔・文人と三拍子そろう

挙家無食(家を挙げて食無し)(「顔氏家訓」)

ああ、また今日も、現代のみなさんの笑い声が聞こえる。

360度対応ができなければ現代ではやっていけないであろう。

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北斉の吏部侍郎であった房文烈は、

未嘗嗔怒。

現代のみなさんは「パワハラを避けようとしたのだな、有能だ」「セミナーでも参考になるかもね」と思うかも知れませんが、あるとき、

経霖雨絶糧、遣婢糴米、因爾逃竄。三四許日、方復擒之。

やり手のオンナだったのでしょうか。

房徐曰、挙家無食、汝何処来。竟無捶撻。

―――あまい。あますぎる。管理者といて目標を示したのだから評価を厳格にすべき。

―――それ以前に無能。問題を理解できていない。

―――必要なことは明確に伝えるべき。のそのそしたしゃべりはそれだけで管理能力を疑われるぞ。

―――あの女と何かあるんじゃないの?

―――情けない、情けないのう。

など、腹を減らした家人たちの蔭口が聞こえて来そうです。

それだけではなかった。

嘗寄人宅、奴婢徹屋為薪、略尽。

聞之顰蹙、卒無一言。

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南北朝・顔之推「顔氏家訓」治家第五より。肝冷斎がその人に同情的だと思われると肝冷斎も「弱い」とか言われますので、先に言っておきますね。ダメだダメだダメだ。本当にダメな人だなあ(棒読み)。

「何も言えないとは。人間が弱すぎるだけでなく言語能力もダメか」

「東洋の昔の人ですからね、だいたいこんなものでは」

「食い物より大事な財産をないがしろにされるとは、おれなんか聞いているだけで涙が出る」。

などと、現代のすぐれたみなさんのご批判、お怒りはもっともながら、長雨が続くと食糧が無くなる、家よりも薪木が必要になる、という当時の経済社会の脆弱さの方がびっくりしませんか。驚いたことに顔之推は子どもたちに「房文烈のようになってはダメだぞ」と教えていません。むしろ「寛容でよろしい」とプラス価値です。貴族でも(明日はともかく)数日後にはどうなるかわからない、という経済社会に生きていたので、現代のみなさんのような優れた人にはなれなかったんでしょうね。

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