挙家無食(家を挙げて食無し)(「顔氏家訓」)
ああ、また今日も、現代のみなさんの笑い声が聞こえる。

360度対応ができなければ現代ではやっていけないであろう。
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北斉の吏部侍郎であった房文烈は、
未嘗嗔怒。
いまだ嘗て嗔怒せず。
一度も憤激したり怒ったりしたことが無かった。
現代のみなさんは「パワハラを避けようとしたのだな、有能だ」「セミナーでも参考になるかもね」と思うかも知れませんが、あるとき、
経霖雨絶糧、遣婢糴米、因爾逃竄。三四許日、方復擒之。
霖雨を経て糧を絶し、婢を遣りて米を糴(てき)せしむに、爾(それ)に因りて逃竄す。三四許日にしてまさにまたこれを擒(とら)えたり。
長雨が続くうちに家に食糧が無くなったので、女中の一人に米を買いに行かせた。ところがこの女中が、そのままとんずらしやがったのであるが、三~四日後に取り押さえることができた。
やり手のオンナだったのでしょうか。
房徐曰、挙家無食、汝何処来。竟無捶撻。
房おもむろに曰く、「家を挙げて食(し)無きに、汝何れの処より来たる」と。ついに捶撻無し。
房はゆっくりと(おだやかに)言った。
「家中(下男下女も)みんな食べ物が無くて困っているのに、おまえは一体どこに行っておったのだ」
結局、ムチうつことも無かった。
―――あまい。あますぎる。管理者といて目標を示したのだから評価を厳格にすべき。
―――それ以前に無能。問題を理解できていない。
―――必要なことは明確に伝えるべき。のそのそしたしゃべりはそれだけで管理能力を疑われるぞ。
―――あの女と何かあるんじゃないの?
―――情けない、情けないのう。
など、腹を減らした家人たちの蔭口が聞こえて来そうです。
それだけではなかった。
嘗寄人宅、奴婢徹屋為薪、略尽。
嘗て人に宅を寄するに、奴婢、屋を徹して薪と為し、ほぼ尽くせり。
ある時、人に住宅の管理を依頼したところ、(そのいきさつを知らず所有権も移転したのだと思ったその家の家僕が)「ぼろっちい家だなあ、もう住むのは無理だから、燃料にしてしまおう」と、家の屋根を撤去して薪木にしてしまい、ほとんど残らなくなってしまったいた。
聞之顰蹙、卒無一言。
これを聞いて顰蹙するも、ついに一言も無し。
その報告を聞いた房文烈は、さすがに眉をしかめたが、それ以上何も言わなかった。
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南北朝・顔之推「顔氏家訓」治家第五より。肝冷斎がその人に同情的だと思われると肝冷斎も「弱い」とか言われますので、先に言っておきますね。ダメだダメだダメだ。本当にダメな人だなあ(棒読み)。
「何も言えないとは。人間が弱すぎるだけでなく言語能力もダメか」
「東洋の昔の人ですからね、だいたいこんなものでは」
「食い物より大事な財産をないがしろにされるとは、おれなんか聞いているだけで涙が出る」。
などと、現代のすぐれたみなさんのご批判、お怒りはもっともながら、長雨が続くと食糧が無くなる、家よりも薪木が必要になる、という当時の経済社会の脆弱さの方がびっくりしませんか。驚いたことに顔之推は子どもたちに「房文烈のようになってはダメだぞ」と教えていません。むしろ「寛容でよろしい」とプラス価値です。貴族でも(明日はともかく)数日後にはどうなるかわからない、という経済社会に生きていたので、現代のみなさんのような優れた人にはなれなかったんでしょうね。