如幻三昧(如幻三昧にあり)(「豔異編」)
今日はシゴトして疲れました。年寄働かせたらあかんで。昼寝できなかったので、会社終わった後、食堂や電車などあちこちで爆睡して、何度も危ない目に遭いつつ何とか帰ってきました。よくケガもせずに帰ってこれたものじゃ。「如幻三昧」にあるがごとし。

出家しよう。
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唐の時代のことですが、四川の地に、梵僧(インドから来た僧侶)難陀(ナンダ)なる者が現われた。
得如幻三昧、入水火、貫金石、変化無窮。
如幻三昧を得、水火に入り、金石を貫き、変化窮まり無し。
幻術中に恍惚となる境地に入っており、水中や火中に入っても無事、鉄板や岸壁の中に入り込んで出て来るなど、不思議なことをしてきりが無いのであった。
(中略)
このナンダ、僧のくせによく宴会にやってくるのであったが、会場に入るとまず、
令人断其頭、釘耳於柱、無血、身坐席上。
人をしてその頭を断ぜしめ、耳を柱に釘打つも血無く、身は席上に坐するなり。
近くの人に首を斬ってもらうのであった。ナンダは、その首の耳のところを釘で柱に打ちつけて、そこにぶらさげ、自分は(頭無しで)座布団の上に座るのである。この間、血は流れない。
酒至、瀉入頭瘡中、面赤而歌、手復抵節。
酒至れば、頭瘡中に瀉入するに、面赤くして歌い、手また節を抵(う)つ。
お酒が回ってくると、それを(胴体の方の)首を斬った穴に注ぎこむ。しばらくすると柱にぶら下がっている頭の方の顔が赤くなってきて歌を歌い出す。胴体の方の手は拍手をする。
これはおもしろい。宴席の人はおお喜びだ。
会罷自起、提首安之、初無痕也。
会罷めば自ら起ち、首を提げてこれを安ずるに、初めより痕無きなり。
宴会が終了すると(胴体は)自分で立ち上がり、ぶらさがっている頭を持ち上げて首の上に乗せ、
ぎゅぎゅっ
と引っ付けると、もとどおりに傷痕一つ無くくっつくのである。
耳から抜け落ちた釘だけが宴会場に残っているのであった。
真似をしてはいけませんよ。してもいいけど、ここで読んだ、と言わないでくださいね。
ある時、
成都有百姓供養数日。僧不欲住、閉関留之、僧入壁間。
成都の百姓、供養数日すること有り。僧、住(とど)まるを欲せざるに、関を閉ざしてこれを留めれば、僧、壁間に入る。
四川・成都の町衆たちが、僧を呼んで数日間にわたる仏教集会を開いた。ナンダはじっとしているのがイヤで、二日目には町を出て行こうとしたので、城門を閉ざして止めようとしたところ、ナンダは城壁に入り込んでしまった。
「こんなところに入り込みおって」「逃がすな、逃がすな」
百姓遽牽、漸入、惟余袈裟角。頃亦不見。
百姓遽(すみや)かに牽くも、漸くに入り、ただ袈裟の角を余すのみ。頃(やが)てまた見えずなりぬ。
町衆たちが大急ぎで城壁から出ている部分を引っ張ったが、だんだんと入り込んで行き、やがて袈裟の端っこだけが壁から出ているようになって、またしばらくするとそれも見えなくなってしまった。
ただ、
来日壁上有画僧焉、其状形似白月。色漸薄、積七日、空有黒跡。至八日、黒跡亦滅。
来日、壁上に画僧有り、その状形、白月のごとし。色漸く薄く、積すること七日にして空しく黒跡有り。八日に至りて黒跡もまた滅す。
翌日になると、城壁のその部分には、僧侶の絵が浮かび上がっていた。その状態は、薄く光を放つ月のようであった。その絵もだんだんと色あせて行き、七日経つともう黒い跡だけになってしまい、八日目にはその黒い跡も見えなくなってしまった・・・。
そのころ、
僧已有彭州矣。後不知所之。
僧、すでに彭州に有り。後に之(ゆ)くところを知らず。
ナンダはもう長江下流の彭州の地にいるのが確認されていた。だが、その後は、どこに行ったのか、誰も知らない。
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明・王世貞編「豔異編」巻二五より(明・胡文煥「稗家粋編」所収)。「豔」(えん)は「艶」、「豔異」は「女性に関わる不思議なお話」の意味で、明の大文豪、弇(えん)州先生・王世貞がみなさんのご興味のために編纂してくれた本です。うっしっし。「あれ?でも、上記の梵僧難陀の物語には女性が出て来ないですよ」とお気づきのみなさんもおありかと思いますが、実は「中略」とした前半部に、美しい三人の尼僧を伴って四川地方に現れた!という物語が入っているのです。この三人の尼僧が実は・・・へへへ、へっへっへ。それはまたのお楽しみに。