11月16日 遠回しに批判しているのかも

浮石沈木(石を浮かせ木を沈む)(「新語」)

八兵衛さんが
「ご、ご隠居、7-9月期の経済統計でスタグフレーション突入が明らかになったようです!あわわわー、大変だあ!」
と駆け込んできましたが、ご隠居もスケさん・カクさんも弥七も、みんなじっと無気力に黙っている。
「へ、大したことないってことか。騒いで損したぜ。確かに石は浮かび木は沈む世の中ってもんだ」
と思い直して、八兵衛もまた無気力な顔になってじっと黙りこんだのであった・・・。

シカでしかない。

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前漢の初期、紀元前二世紀初めごろの話ですが、

夫衆口毀誉、浮石沈木。群邪相抑、以直為曲、以白為黒。

曲直之異形、白黒之殊色、乃天下之易見也。然而目繆心惑者、衆邪誤之。

最近(紀元前二世紀初めごろ)の例を挙げましょう。

秦二世之時、趙高駕鹿而従行、王曰、丞相何為駕鹿。

趙高は答えた、

馬也。

帝は怪訝そうに言った、

丞相誤邪、以鹿為馬也。

趙答えて曰く、

乃馬也。陛下以臣之言為不然、顧問群臣。

「むむむ」

於是乃問群臣、群臣半言馬、半言鹿。

・・・有名な「馬鹿」の場面ですが、これは普通その語源として紹介される「史記」二世本紀とは少しだけ違いがあります。「史記」では、

趙高持鹿献於二世、曰馬也。二世笑曰、丞相誤耶、謂鹿為馬。問左右、或黙、或言馬。

となっていて、少し短い上に、太字の部分が違っています。

此事或陸生親見之。所説当確於史記。

この文章の著者(肝冷斎ではありません)・陸賈は、戦国末の紀元前240年ごろの生まれ、秦の統一と崩壊、漢と楚の争い、漢の統一、功臣たちの謀殺、呂氏政権打倒クーデタの時代を過ごし、南越降伏の使者として活躍して、紀元前170年ごろ死去。「史記」の司馬遷が紀元前145ごろ生まれ~前87ごろ死去とされますから、確かに陸賈は現場を見ている可能性さえあり、陸賈の記述の方が古い型なのではないか、と清の唐晏は考証しています。

「そうなんじゃよ、うっしっし~。司馬遷の若造め、思い知ったか」

という陸賈の高笑いが聞こえてきそうですね。「史記」の方の「半分は黙りこくった」という記述も緊張感あっていいですけどね。

閑話休題(それはさておき)―――

半分の群臣が「馬」と言ったので、

当此之時、秦王不能自信其目、而従邪臣之言。

鹿与馬之異形、乃衆人之所知也。然不能別其是非、況於闇昧之事乎。

さて、「周易」繋辞上伝

二人同心、其義断金。

というコトバがあります。・・・あ、待てよ、わしのような前漢の人間と違って、唐以降のおまえさんたちは、

二人同心、其利断金。

というテキストになっているんじゃったなあ。そして、その解釈は、

二人若同斉其心、其鉄利能断截於金。金是堅剛之物、能断而截之、盛言利之甚也。此謂二人心行同也。(唐「周易正義」)

と、二人が同じ心なのは「いいこと」として習っていると思います。

などと、甘い仲間意識をアニメやマンガで信じ込まされているかのう。くっくっく。

わしら前漢の者はもう少し人間観が醒めておりましてな、

群党合意、以傾一君、孰不移哉。

と、もっとシビアな解釈をしておりましてのう。

ああ、後漢以降の若いものは、甘い。甘いのう。

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漢・陸賈「新語」弁惑第五より。「くそ、前漢のじじいめ!」「二人同心してやっつけてやるぜ」「同心王におれはなる!」と後漢のやつは地団太履むかも知れません。だが、現代のすぐれた目から見れば、前漢も後漢も、簡体字やデジタル化はもとよりまだ隷字とか書いてる老害です。やはり昔の人は劣っているので、昔のことを勉強する必要なんか何もないなあ・・・と思いましたか?

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