浮石沈木(石を浮かせ木を沈む)(「新語」)
八兵衛さんが
「ご、ご隠居、7-9月期の経済統計でスタグフレーション突入が明らかになったようです!あわわわー、大変だあ!」
と駆け込んできましたが、ご隠居もスケさん・カクさんも弥七も、みんなじっと無気力に黙っている。
「へ、大したことないってことか。騒いで損したぜ。確かに石は浮かび木は沈む世の中ってもんだ」
と思い直して、八兵衛もまた無気力な顔になってじっと黙りこんだのであった・・・。

シカでしかない。
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前漢の初期、紀元前二世紀初めごろの話ですが、
夫衆口毀誉、浮石沈木。群邪相抑、以直為曲、以白為黒。
それ、衆口に毀誉すれば、石を浮かせ木を沈む。群邪相抑すれば、直を以て曲と為し、白を以て黒と為す。
ああ。みんなの口でけなしたり褒めたりすれば、「石だって浮くだろうし、木だって沈む」と申します。まこと、よこしまなやつらが群をなせば、「真っすぐなもの」も「曲がっている」ことになり、「白いもの」も「黒いもの」になることでしょう。
曲直之異形、白黒之殊色、乃天下之易見也。然而目繆心惑者、衆邪誤之。
曲直の形を異にし、白黒の色を殊にするは、天下の見易きことなり。然るに目の繆し心の惑するは、衆邪これを誤つなり。
曲がっているのと真っすぐなのとは形が違うし、白いものと黒いものは色が違う―――これは世界共通に見分けのつきやすいことである。それでも。目が見間違い、心が混乱してしまうことがあるのは、よこしまなやつらが誤解させるのである。
最近(紀元前二世紀初めごろ)の例を挙げましょう。
秦二世之時、趙高駕鹿而従行、王曰、丞相何為駕鹿。
秦二世の時、趙高鹿に駕して従行するに、王曰く、「丞相何すれぞ鹿を駕す」と。
秦の二世皇帝の時、実権を握った宦官長の趙高が、(馬ではなく)鹿に乗って、帝の随行をしていた。帝は言った、
「趙丞相どの、どうして鹿になんか騎っておられるのかな?」
趙高は答えた、
馬也。
馬なり。
「馬でございますよ」
帝は怪訝そうに言った、
丞相誤邪、以鹿為馬也。
丞相誤れるか。鹿を以て馬と為すなり。
「丞相、何を間違っているのじゃ? 鹿を馬と言うとは」
趙答えて曰く、
乃馬也。陛下以臣之言為不然、顧問群臣。
すなわち馬なり。陛下、臣の言を以て然らずと為せば、顧みて群臣に問え。
「いやいや馬ですよ。陛下がやつがれのコトバを間違っているとおっしゃるなら、後ろに控えておられる群臣のみなさんに訊いてみられれば如何ですか?」
「むむむ」
於是乃問群臣、群臣半言馬、半言鹿。
ここにおいてすなわち群臣に問うに、群臣半ばは馬と言い、半ばは鹿と言う。
そこで群臣に向かって訊いてみると、かれらの半分は「馬でございましょう」と言い、半分は「鹿でございます」と言った。
・・・有名な「馬鹿」の場面ですが、これは普通その語源として紹介される「史記」二世本紀とは少しだけ違いがあります。「史記」では、
趙高持鹿献於二世、曰馬也。二世笑曰、丞相誤耶、謂鹿為馬。問左右、或黙、或言馬。
趙高、鹿を持して二世に献じ、曰く「馬なり」と。二世笑いて曰く「丞相誤れるや。鹿を謂いて馬と為せり」と。左右に問うに、或いは黙し、或いは馬と言えり。
趙高が鹿を持って来て、二世皇帝に献上し、「これは馬です」と言った。二世皇帝は笑って言った、「丞相お間違いですぞ。鹿を馬と呼ぶとは」と。そして、左右の側近たちにも訊いてみたが、あるひとは黙りこくったままで、あるひとは「鹿だ」と答えた・・・・。
となっていて、少し短い上に、太字の部分が違っています。
此事或陸生親見之。所説当確於史記。
この事、あるいは陸生の親しくこれを見るところか。説く所、まさに「史記」よりも確かなり。
この事件は、もしかしたら(著者の)陸賈が自分で秦王朝末期に目の前で見たことだったのではないか。説明内容は、「史記」よりも明確である。
この文章の著者(肝冷斎ではありません)・陸賈は、戦国末の紀元前240年ごろの生まれ、秦の統一と崩壊、漢と楚の争い、漢の統一、功臣たちの謀殺、呂氏政権打倒クーデタの時代を過ごし、南越降伏の使者として活躍して、紀元前170年ごろ死去。「史記」の司馬遷が紀元前145ごろ生まれ~前87ごろ死去とされますから、確かに陸賈は現場を見ている可能性さえあり、陸賈の記述の方が古い型なのではないか、と清の唐晏は考証しています。
「そうなんじゃよ、うっしっし~。司馬遷の若造め、思い知ったか」
という陸賈の高笑いが聞こえてきそうですね。「史記」の方の「半分は黙りこくった」という記述も緊張感あっていいですけどね。
閑話休題(それはさておき)―――
半分の群臣が「馬」と言ったので、
当此之時、秦王不能自信其目、而従邪臣之言。
この時に当たりて、秦王自らその目を信ずるあたわず、邪臣の言に従えり。
ちょうどこの時には、秦皇帝は自分の目を信ずることができなくなって、よこしまな臣下たちのコトバに従ってしまったのである。
鹿与馬之異形、乃衆人之所知也。然不能別其是非、況於闇昧之事乎。
鹿と馬の形を異にするは、衆人の知るところなり。然るにその是非を別くる能わざる、況や闇昧の事においてをや。
鹿と馬の形が違うというのは、誰もが知っているところのはずである。ところが、そのことの正否さえわからなくなってしまうのだ。いわんや、あいまいで悩ましいことであれば、さらに分かちがたいことであろう。
さて、「周易」繋辞上伝に
二人同心、其義断金。
二人同心すれば、その義、金を断つ。
二人が同じ心になれば、その判断は黄金さえも真っ二つ。
というコトバがあります。・・・あ、待てよ、わしのような前漢の人間と違って、唐以降のおまえさんたちは、
二人同心、其利断金。
二人同心、その利、金を断つ。
二人が同じ心になれば、その鋭さは黄金さえも真っ二つ。
というテキストになっているんじゃったなあ。そして、その解釈は、
二人若同斉其心、其鉄利能断截於金。金是堅剛之物、能断而截之、盛言利之甚也。此謂二人心行同也。(唐「周易正義」)
二人もしその心を同じうすれば、その鉄の利はよく金より断截す。金はこれ堅剛の物にしてよく断じてこれを截る、利の甚だしきことを盛言すなり。これ、二人の心行同じきを謂う。
おまえとあいつと、二人がその心を一緒にすれば、その鉄(のような団結)の鋭さは、よく黄金さえも切断することができる、というのである。黄金は堅く強いものであるが、それをさえ真っ二つにする、というのだから、鋭さがすごい、ということを大げさに言っているのだ。おまえとあいつの心と行いが同じであることの利点を指しているのである。
と、二人が同じ心なのは「いいこと」として習っていると思います。
―――みんなは一人のために、一人はみんなのために!
などと、甘い仲間意識をアニメやマンガで信じ込まされているかのう。くっくっく。
わしら前漢の者はもう少し人間観が醒めておりましてな、
群党合意、以傾一君、孰不移哉。
群党意を合して、以て一君を傾くれば、孰(たれ)か移らざらんや。
群れた仲間たちがしめし合わせて、一人の君主の思考を偏向させれば、いったい誰がそれに堪えて自分を信じていることができようか。
と、もっとシビアな解釈をしておりましてのう。
ああ、後漢以降の若いものは、甘い。甘いのう。
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漢・陸賈「新語」弁惑第五より。「くそ、前漢のじじいめ!」「二人同心してやっつけてやるぜ」「同心王におれはなる!」と後漢のやつは地団太履むかも知れません。だが、現代のすぐれた目から見れば、前漢も後漢も、簡体字やデジタル化はもとよりまだ隷字とか書いてる老害です。やはり昔の人は劣っているので、昔のことを勉強する必要なんか何もないなあ・・・と思いましたか?