11月15日 あんまり緊張せず美味かった

叔世官吏(叔世の官吏)(「鶴林玉露」)

今日は先輩の方々にいい飯食わせてもらいました。席上、最近の経済は大丈夫かね、みたいな話が出ましたが、まだ大丈夫です。政府が↓みたいになっていないので。

まだ大丈夫なら寝るでメー。

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南宋の政論家として名高い水心先生・葉適(しょう・せき)が言うに、

・・・唐の時代に西原蛮という少数民族が反乱を起こした時、湖南で道州だけは無事であった。ところが、その後、

諸使調登符牒、乃至二百函。元結以為賊之不如。

以上が水心先生のコトバなんですが、簡単すぎて事実関係がわかりずらいので、唐の元結自身に「賊退示官吏」(賊退き、官吏に示す)という詩があり、その「序」に、事件のあらましが書かれていますので、読んでみましょう。

癸卯歳、西原賊入道州、焚焼殺掠、幾尽而去。

明年賊又攻永破邵、不犯此州辺鄙而退。豈力能制敵歟。蓋蒙其傷憐而已。

ところが、どういうことか。

諸使何為忍苦徴斂。故作詩一篇以示官吏。

というのが「序」ですが、この詩の中に、

使臣将王命、豈不如賊焉。

の句があります。これが、上の水心先生のいう「元結、以て賊に如かずと為す」の趣旨です。

「旧唐書」元結伝などによると、実際には賊が見逃してくれたのではなくて、元結の指揮の下、二回目の侵入には籠城して耐えた、というのが史実らしいのですが、元結は治安や防衛もできないくせに徴発だけはする中央省庁のやり方に憤懣を持っていたので、このようなことを言ったらしい、と考証されています。

・・・さて、それでわたくし(←肝冷斎ではありません。筆者の南宋・羅大経)が考えますに、

蓋一経兵乱、不肖之人妄相促迫、草芥其民。賊猶未足以為病、而官吏相与亡其国矣。

そんなひどいことするのでしょうか。

且非特兵乱之後、暴駆虐取吾民而已。方其変之始也、不務為弭変之道、乃以幸変之心、施激変之術、張皇其事、誇大其功。

なんと。確かにしそう・・・かも。

借生霊之性命、為富貴之梯媒。甚者仮夷狄盗賊以邀脇其君。輾転滋蔓、日甚一日、而国随之。

これが

叔世官吏。

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宋・羅大経「鶴林玉露」乙編巻三より。数年前に読んだ時に、当時の肝冷斎は「一部の弁護士?」と書きこんでるんですが、何か思い当たる事件があったのであろうか。現代的には「官吏」よりも「一部の政治家」「一部のマスメディア」あるいは「一部の国民」でもよかったのかも?いずれにせよ、まだ末期にはなっていないと思うので、ヒツジのように安眠してても大丈夫です。誰かがなんとかするでしょう。

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