此隠者也(これ隠者なり)(「後漢書」)
今日は久しぶりで〇野屋さんに入って「すきやき丼」というのを食べたら
非常に美味かった。
涙出てきました。ただ、相応の値段がするので、今のわしが毎日食べていると、税務署が来て「まだ絞れそうだな」と絞られそうなので毎日は食べられませんが。

「美味い」の一言じゃ。
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前漢が滅び、王莽の新が建つと、これに対して多くの英雄たちが兵を起こしましたが、中でも有力だったのが漢の一族であった劉玄で、新の地皇四年(紀元23年)に即位して「更始」の元号を建てましたので、これを史書に更始帝と呼びます。はじめこの更始帝の武将であったが、後にその羈縻を脱して、更始三年(25)に自立して「建武」の元号を建てたのが後漢の創始者・光武帝・劉秀でありますが、
光武貳於更始、会関中擾乱、遣前将軍鄧禹西征、送之於道。
光武、更始に貳(じ)し、関中の擾乱するに会して、前将軍鄧禹を遣りて西征せしめ、これを道に送れり。
光武帝はいよいよ更始帝を裏切ることに決め、更始の本拠地であった関中地方が混乱しているのを機に、先鋒軍団長の鄧禹を西に向けて出征させることにして、その部隊を途中まで見送った。
その帰り道、河南の野王の地で狩猟を行うことして、会場に近づくと、
路見二老者即禽。
路に二老者の禽に即(つ)くを見る。
道に二人の老人がいて、獲物の見張りをしているのを見つけた。
帝は問うた、
禽何向。
禽、いずれに向かうや。
「獲物はどちらの方におるか」
二人は、
並挙手西指。
並びに挙手して西を指さす。
二人そろって、手を挙げて、西の方を指さした。
なんとなくコント仕立てです。
そのうちの一人が言った、
此中多虎、臣毎即禽、虎亦即臣、大王勿往也。
この中に虎多く、臣の禽に即くごとに、虎もまた臣に即く。大王往く勿れ。
「この先にはトラが多くおりますじゃ。わしらが獲物のトラを狙いますと、トラの方もわしらを狙ってきます。大王さま、ここから先に行ってはいけません、やつらが狙っておりますぞ」
光武帝は言った、
苟有其備、虎亦何患。
いやしくもその備え有れば、虎もまた何をか患(うれ)えん。
「きちんと準備をしているのだから、トラを恐れる必要はないだろう」
さっきと違う方が言った、
何大王之謬邪。昔湯即桀於鳴條、而大城於亳。
なんぞ大王の謬(あやまれ)るや。昔、湯の桀を鳴條に即くに、大いに亳(はく)に城(きづ)けり。
「ああなんと、大王さまのお間違いになられることよ。太古の昔、殷の湯王が夏の桀王を狙って鳴條(めいじょう)の野に出征したとき、(桀王は)亳(はく)の町に大きな城を築いて準備なされましたのじゃ」
もう一人が言った、
武王亦即紂於牧野、而大城於陜辱。彼二王者、其備非不深也。
武王また紂を牧野に即くに、大いに陜辱に城けり。かの二王なるもの、その備え深からざるには非ざるなり。
「これも昔、周の武王が殷の紂王を狙って牧野(ぼくや)の野に出征したとき、(紂王は)陜辱(きょうじょく)の町に大きな城を築いて準備なされましたのじゃ。この(敗れた方の)桀王と紂王は、準備をきちんとしていなかったわけではないのですじゃ」
そして、二人声をそろえて申し上げた、
是以即人者、人亦即之。雖有其備、庸可忽乎。
是を以て人に即く者は、人もまたこれに即く。その備え有りといえども、庸(なん)ぞ忽せにすべけんや。
「これを鑑みれば、誰かを狙う者は、相手もまたこちらを狙っている。たとえ準備ができていたとしても、どうして安心していられましょうぞや」
「なるほど」
光武、悟其旨。
光武、その旨を悟る。
光武帝は、二人の言いたいことを理解した。
「すぐに守備を固め、後詰を用意し、河南の全城郭に警戒させよう、そしてこれからは、他者との競争という行動様式を止めて、徳を以て従わせねば・・・。ところで」
顧左右曰、此隠者也、将用之。
左右を顧みて曰く、「これ隠者なり、まさにこれを用いんとす」と。
側近たちの方を見て言った。「このお二人は隠れた賢者たちだ。わしに仕えてもらおうではないか」
だが、その時には、二人の姿はもう消えていて、
莫知所在。
在るところを知る莫(な)し。
どこに行ったのか、わからなかった。
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「後漢書」巻83「逸民伝」より「野王二老」。かっこいいー! 言ってる内容やコントみたいなしゃべり方、ではなく、「どこに行ったのかわからな」くなってしまうのがかっこいいではありませんか。隠者や逸民は、わしら賢者の永遠のあこがれじゃ。「後漢書」(中華書局版)が東方書店で店頭安売りになっていたので衝動的に買ってきてしまいました。上海古籍出版版が地層に埋もれてしまったので・・・。この年になっても自分の衝動を抑えきれないとは情けないのう、ふがふが。これからがんがん他の逸民も紹介するので、お楽しみに!
と思ったら、今日別の本探してたら出てきた。要らなくなると出て来るの法則です。どうしてこんなことになるのか。何かに当たり散らしたいぐらいですが。
尼采(ニーチェ)子曰く、
おお、人間よ気をつけよ! お前が深淵を覗き込むとき、深淵もまたお前を覗き込んでいるのだから。
を思い出しました。世界の秘密がそこにあるかと思って暗闇を覗き込むと、暗闇の方もお前の秘密を覗き込む。わたしの行動は世界の在り方と深いところでシンクロナイズしているのだ、こちらが要らなくなると、「肝冷斎の方の必要性がなくなったから、がっかりさせてやれ、いひひひ」と、世界の方が暗闇の地層の下から吐き出してくるのだ・・・とかぶつぶつ言ってみても、何言ってるかわかりませんよね。