11月13日 眠い寒い腹食いすぎの日々

垢穢不可近(垢穢にして近づくべからず)(「茶余客話」)

靴下も変な臭いがしたんでしょうね。

人に勝たねば、というキモチを十代のころに失くしてしまったので、勝負事はできないんです。カモにはなれるかも。

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北宋のはじめごろ、

有待詔賈元、号為国手、数十年無継者。

後有李憨子者、挙世無敵手。然状貌昏濁、垢穢不可近。蓋里巷庸人也。

普通のおっちゃんは近づくのもイヤなほどではないと思うのですが、昔の読書人はこう思っていたのでしょう。

現代(19世紀はじめ)の友人・胡旦に言わせれば、

以棋為易解、則如旦聡明尚不能。若以為難解、則愚下小人往往精絶。

なんだそうである。

北宋の隠者・林和靖が言うには、

平生不能者、担糞、着棋。

と。

鄙之極矣。

しかし、彼の詩を読むと、あちこちに碁を打っていたことが出てくるので、単に弱かっただけなのであろう。

猶賢者矣。

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清・阮癸生「茶余客話」巻十九より。わたしどもは愚下小人、肥桶担ぎはできますが、碁は打てません。20台のころ生きてる目を作った(はずな)のに「これは死んでる」と言われてから「ほうほう、確かにわしの目はとろんとして死んでおりますでのう」と思ってやる気無くしたのじゃ。

宋の林和靖は「梅妻鶴子」(ウメを妻とし、ツルを子とした)の大賢者ですから、なかなか一筋縄ではいきませんね。

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