11月1日 月も変わっていい世の中に・・・

各求代死(各おの代わりて死なんことを求む)(「顔氏家訓」)

でかいからやられたのであろうか。

「みんなまとめて煮込んじゃうよ!」「みんな美味しくなるんニャー」

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南朝梁の時代のことですが、

江陵王玄紹、弟孝英、子敏、兄弟三人、特相愛友。

所得甘旨新異、非共聚食、必不先甞。

梁・元帝の承聖三年(554)、西魏が江陵に侵攻してきた。直前の侯景の乱に弱体化していた梁には、その侵攻を挫く手立ては無かった。

及西台陥没、玄紹以形体魁梧、為兵所囲。

その時、

二弟争共抱持、各求代死、終不得解、遂并命爾。

この人たちは仲良しだったから、今でも人の心に残っているのだ。

兄弟不睦、則子姪不愛。子姪不愛、則群従疏薄。群従疏薄、則僮僕為讐敵矣。

如此、則行路皆踖其面而踏其心、誰救之哉。

しかし、それなのになあ、兄弟は仲たがいすることが多いんだよなあ、お前らできるだけ気をつけてくださいよ・・・、でもヨメが、子ども同士が、下男たちが、壁に開いた穴を早く修繕しないと風と雨が穴をどんどん広げてしまうようになあ・・・と、他の条を見ていると、だんだん弱気になっていくのが、苦労人であった著者の子どもたちへの教えです。いい本ですよ。

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南北朝・顔之推「顔氏家訓」兄弟第三より。わははは、兄弟みんなでやられるなんてオロカだなあ、現代のオレたちならこんなことは・・・などと笑っていてはいけません。顔之推はこの江陵市街戦の現場にいて、三兄弟の凄絶な死を、おそらく実見しているんです。彼はここで国家の滅亡を眼前にし、西魏の都・長安まで徒歩で連行され、その後、北斉に亡命、北斉が西魏の後継国家である北周に滅ぼされて再び亡国の悲哀を味わい、北周が隋に取って代わられた後はその隋に仕えて身を卒えた。

ウクライナでえー、とか、ガザで子供たちがあー、病院があー、とか現代のこと言ってませんからね。現代の批判とかヒューマニズムとか振り回してませんからね。もうちょっと、人間とは何ぞやという一般論をしているつもりです。

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