岌岌無守(岌岌として守り無し)(「郎潜紀聞」)
備え有れば神さまが何とかしてくれるはず。

水星熱くて危険だが、五十億年ぐらい生きてるよー。
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嘉慶元年(1796)、白蓮教の大反乱が起こり、
賊氛逼荊州、州城岌岌無守礟。
賊氛荊州に逼り、州城岌岌(きゅうきゅう)とするに、守礟(しゅほう)無し。
反乱軍の来襲のウワサが、荊州城にも迫ってきていた。城内は危機感でいっぱいだったが、このとき、荊州は長い平和になじんでしまっていて、城を守るための大砲が一門も無かったのである。
「岌岌」は、「孟子」万章上の有名な問答に出てきます。要約していいますと、咸丘蒙が孟子に質問した、むかしむかし、舜が帝に即位したとき、先代の帝であった堯は舜の臣下になった、また、舜の実父の瞽瞍も臣下になった。すなわち、君―臣関係と父―子関係という世界を規制する二つの秩序が、ともに大きく乱れた。
このことを、
孔子曰、於斯時也、天下殆哉、岌岌乎。
孔子曰く、この時においてや、天下殆ういかな、岌岌乎たり。
孔子が評価して言ったそうです。
「その時はほんとに世界は危険だったのじゃ。やばやばだったのじゃ」
と。これは本当ですか。
孟子は答えた、
否、此非君子之言、斉東野人之語也。・・・
否、これ君子の言にあらず、斉東の野人の語なり。・・・
「そんなことはない! そんな言葉は孔子のような立派なひとの言葉ではなく、斉の東、山東半島の方の田舎者のことばじゃ・・・云云」
どう説明したか、は、「孟子」を読んでください。
・・・という孔子の言葉に「岌岌」が出てきます。危険なさま。
さて、そのような危機的な状況の時に、知事さまが悩みながら寝ていますと、
漢寿亭侯忽示夢於馬厰。
漢寿亭侯、忽ちに夢を馬厰に示す。
漢寿亭侯さまが、突然、夢に現れて、軍馬小屋を指し示した。
漢寿亭侯って誰やねん、と思って調べますと、これは後漢~三国の関羽さま。劉備、張飛と義兄弟になったあの人です。関羽さまが曹操さまのもとで働いたとき、曹操さまがその活躍をほめて「漢寿亭侯」(荊州にある漢寿の亭を管理する侯)の称号を与えた。実質は曹操さまにもらったのですが、形式的にはその時の正統王朝である後漢からもらっているので、そのまま関羽さまを指す呼び名となったのだそうです。
夢の仰せにしたがって、軍馬小屋の下を掘ってみたところ、
掘獲礟九位、石子十万斤。
掘りて礟(ほう)九位、石子十万斤を獲たり。
土の中から、大砲が九門と、石の弾が60トンを掘り出した。
清代の一斤≒600グラムで計算しました。
このこと、朝廷に報告されて、
錫名曰神賜大礟。
名を錫(たま)いて曰く「神賜大礟」(しんしだいほう)と。
皇帝から大砲に、「神さま下さり大砲」という名前をいただいた。
名誉なことである。
攷荊州大廟、即当日幕府故阯。
攷うるに、荊州の大廟は、即ち当日の幕府の故阯なり。
考証してみると、どうやら荊州城の現在のお祀り場は、かつて三国のころの関羽さまの幕府があった場所らしいのだ。
ああ、頌め歌を歌いて曰く、
宜祚順祐民、威霊尤赫赫。
順に祚(さいわ)いし民を祐(たす)くべく、威霊もっとも赫赫たり。
(反乱になど参加しない)すなおな人民を助けて幸福を授ける、威力ある神霊(である関羽さま)は抜きん出て輝いておられる。
ありがたいなあ。全く、備えあれば、憂いなしじゃ。関羽さまは地下に備えてくださっていたんじゃのう。
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清・陳康祺「郎潜紀聞」二筆巻十より。なんで紀元二~三世紀の関羽さまが大砲の威力を知っておられるのか、という疑問も湧いてまいりますが、そんなことより、まずは反乱起こさないようにしてほしいですよね。
ちなみに、「備えあれば憂いなし」は、
有其善、喪厥善。矜其能、喪厥功。惟事事乃其有備、有備無患。
その善を有さばその善を喪う。その能を矜らばその功を喪う。これ、事事すなわちそれ備え有るのみ、備え有れば患い無きなり。
すばらしいものを得たと思ったら、その時には、そのすばらしいものは失われてしまう。
能力があると勝ち誇ったら、その時には、それまでの功績も失ってしまうのだ。
ただただ、一つの事ごとに準備をしておくことだけが、そうならない方法である。備えがあれば、心配なことは起こらない。
という、「尚書」(書経)説命中篇の一節が語源とされることが多いんですが、ところがこの説命中篇は漢代の偽作で、「有備無患」というのは「左伝」襄公十一年、戦勝に喜ぶ晋公に、魏絳が諫めたコトバの中に、
書曰、居安思危、思則有備、有備無患。
書に曰く、安に居りては危を思え、思えばすなわち備え有り、備え有れば患い無し。
「尚書」(この「尚書」は逸書(散逸した書経)とされています)にこのように申します、「安定しているときは危険な時のことを考えろ、考えたら備えをする、備えをすれば心配は無い」と。
と引用されているところから偽作した、というのですから、自らの尻尾を飲み込もうとするウロボロスのヘビの如く、一体どこがはじめで終わりやら、混乱してしまいますよね。