読書五失(読書に五失あり)(「茶余客話」)
われわれはそんなところまで行ってませんから安心です。

おれたちヒドラはばらばらにされても生き返ることができるが、失敗を克服するには精神力がいるので難しいぜ。
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元の清容居士・袁桷(1266~1327)は、成宗ボルチギンテムールの大徳年間に請われて元朝に仕えたひとであるが、
湘江世族、受業王深寧之門。
湘江の世族にして、王深寧の門に業を受く。
浙江・慶元の町に代々栄えた一族の出身で、南宋末の名儒・王深寧の弟子である。
朱子学の立派な人なんです。
彼が、
少時読書有五失。
少時、読書に五失有り。
わしは、若いころ、読書において、五つの失敗をした。
と言っています。
①泛観而無所択。其失博而寡要。
泛観して択ぶところ無し。その失や博にして要寡(すくな)し。
濫読して一定のジャンルを選択しなかった。そのせいで、博学にはなったが重要なことはあまりわからなかった。
②好古人言行、意常退縮不敢望。其失懦而無立。
古人の言行を好み、意常に退縮して敢えて望まず。その失や懦にして立つ無し。
むかしのひとの言ったこと・行ったことを勉強するのがオモシロかったので、むかしのことばかり勉強して気持ちがいつも後ろ向きで、自分がどうする、ということを考えなかった。そのせいで、弱弱しくなり、自分の立場を確立できなかった。
③纂録故実、一未終而屡更端。其失労而無功。
故実を纂録するに、一いまだ終わらざるにしばしば端を更(か)う。その失や労にして功無し。
歴史的なエピソードをメモして集めようとしたのだが、一つの事件についてメモしきれないうちに、次の事案に移ってしまうことがしばしばであった。そのせいで、がんばっても何も役に立たなかった。
④聞人之長、将疾趨而従之、輒出其後。其失欲速而好高。
人の長ずることを聞くに、疾趨してこれに従わんとし、すなわちその後に出づ。その失や速やかならんを欲して高きを好めり。
誰かにこういう長所がある、という話を読むと、大急ぎでそんなふうになろうとして、その人の真似をした。そのせいで、急いでばかりで地道な積上げをせず、高い目標ばかり追いかけてしまった。
⑤喜学為文、未能蓄其本。其失又甚焉者乎。
文を為(つく)るを学ぶを喜び、いまだその本を蓄わうあたわず。その失やまた焉(こ)れより甚だしき者あらんや。
「甚焉者乎」を「焉(こ)れより甚だしき者あらんや」と読んでみました。ここは、「孟子」滕文公上の孟子のコトバ、
上有好者、下必有甚焉者矣。君子之徳風也、小人之徳草也。草上之風必偃。
上の好む者有れば、下必ず焉(こ)れより甚だしき者有り。君子の徳は風なり、小人の徳は草なり。草上の風あれば、必ず偃(ふ)す。
お上に、あることを好む方がおられれば、しもじもには、必ずその人よりそのことを無茶苦茶好きなやつが出現するものです。えらい方の人間力は、風です。しもじもの人間力は、草です。草の上を風が吹けば、草はみんな倒れ伏します。
の「甚焉者矣」を反語にして使ってるんです。
かっこいい文章を作るのを学ぶために読書していた時期があった。しかし、文章力の根本になる蓄積ができなかった。そのせいで失ったものは、他と比べモノになるものか。
かっこいい文章を学んではいけません。
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清・阮癸生「茶余客話」巻七より。わたしどもは、そんなに立派な読書しておりませんので、読書による失敗も成功も無いのですが、しかも清容居士はこれを「若い時」の失敗と言っている。ということは、歳を取ったらこれを克服したのである。