鄙之為狼(これを鄙として狼と為す)(「嘯亭雑録」)
オオカミかっこいいではありませんか。

オンとオフの転換もスムーズなのだ。さすがだ。
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我が清朝が万里の長城を越えてチャイナ本土に入った十七世紀の半ばころは、
王公諸大臣無不弯強善射、国語純熟。
王公諸大臣に弯強善射にして国語に純熟せるにあらざる無し。
王・公の貴族や大臣たちに、弓射が得意でない人や純粋の満州語に習熟していない人は、一人としていなかった。
しかしながら、
漸染漢習、多以驕逸自安、罔有学勩弓馬者。
漸く漢習に染まり、多く驕逸自安を以て、弓馬を学勩する有る罔(な)し。
「勩」(えい)は、「苦しむ、苦労する」の意です。
だんだんとチャイナの伝統習俗に染まっていき、多くは驕りさぼって、勝手に楽をしようとして、弓と馬を苦しんで学ぶ者はいなくなってしまった。
乾隆帝(在位1735~95)はこのことを憂えられ、
凡有射不中法者、立加斥責。
およそ射に中法せざる者有れば、立ちどころに斥責を加う。
とにかく、弓射において、中らず、作法にも法っていないやつがいたら、即座に批難をお加えになった。
軍の下働きを命じるなどの屈辱を与えたのである。
また、
凡郷会試必須先試弓馬合格、然後許入場屋。故一時勲旧子弟莫不熟習弓馬。
およそ郷会試に必ずまず弓馬を試みて合格すべく、然る後に場屋に入るを許す。故に、一時、勲旧の子弟に弓馬に熟習せざる莫し。
満州人は全員、地元や省単位での官吏登用試験を受けるには、先に弓と馬の試験に合格していないと、試験場に入れないということにした。このため、そのころは、先祖に功績のある代々の貴族の若者に、弓と馬を得意にしない者はいない、という状況になった。
乾隆帝の長い治世の後半に起こった四川の反乱、台湾事件などで活躍した明亮、奎林などの将軍は、代々の貴族の家の方であられたのである。
一代武功、於斯為盛。
一代の武功、ここにおいて盛んなりとす。
清朝はじまって以来、武力の功業はこの時期ほど盛んだったことはない、と言われるのである。
乾隆帝は口癖のようにおっしゃっていた。
周家以稼稷開基、我国家以弧矢定天下。又何可一日廃武。
周家は稼稷を以て開基し、我が国家は弧矢を以て天下を定む。また何ぞ一日も武を廃すべけんや。
―――周王朝は(始祖が農業神の「稷」(しょく)だし)農業を以て国を興したのだ。我が王朝は、弓と矢で天下を平定したのだ。どうして一日たりとも武業を廃止することができようか。
と。
再満州旧族、其命名如漢人者、上深厭之。不許盗襲漢人悪習。
また、満州旧族の、その命名漢人の如き者、上深くこれを厭う。漢人の悪習を盗襲するを許さざるなり。
また、満州人の古い家柄の者が、名前をチャイナ人みたいにするのを、皇帝は深く嫌がった。そして、満州人がチャイナ本土人の悪い風習をひそかに踏襲するのを許さなかった。
曾有漢人以鈕鈷禄氏為郎者。蓋鄙之為狼之諭、言雖激切、亦深恐忘本故。
かつて漢人、鈕鈷禄(ちゅうころく)氏を以て郎者と為すを以て、けだしこれを鄙として狼と為す、の諭(おしえ)有り。けだし、言は激切といえども、また深く本を忘るるを恐るる故なり。
以前、満州貴族の鈕鈷禄(ちゅうころく)家の者を秘書官に任命したとき、チャイナ本土人たちが、あんな何もわからんやつは、「郎」ではなく「狼」じゃ、と言って陰口を叩いた。帝には、このことを題材にした訓示があったのだが、その言葉遣いは激しく切迫している。これも、満州人が本来の姿を忘れてしまうことを深く恐れたがためであった。
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清・愛新覚羅昭連「嘯亭雑録」巻一より。漢人みたいな名前をつけると皇帝に嫌われるようですが、名前なんか時代に応じて変化していけばいいので、もうみなさん、きらきらも気にならなくなってきたでしょう?
今日、NHKから宛先不明・住所のみ特定の通知が送られてきてました。彼らは裁判で負けないのでいよいよやりたい放題、スマホ持ってたら受信料取る法律も出るらしいですね。驕逸自安(おごりさぼって勝手に楽をする)になってきたのでございましょう。
NHKの人は来ると「テレビ無くても受信料払ってください」は言うのに、「うちの番組こんなにいいから契約してください」と絶対言わないので不思議です。そこに問題意識がないのがよくわかります。ああ、ホントウのことなら声なき者の声でも通る世の中であったらよかったのになあ。