10月24日 流れ星に祈れば何かが起こるかも

星墜木鳴(星墜ち木鳴る)(「荀子」)

彗星を見ることができなかった。みんな見れないならいいんですが、見たり写真撮ったりしている人がいる、なのにおれはダメだった、というのが悔しさ(「恨」)につながるわけです。悔しいから、今日は本当のことを言っちゃおうっと。

祈っていたら、この人たちぐらい落ちてくるかも。

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紀元前の昔の話なんですが、

星墜木鳴、国人皆恐、曰、是何也。

これに対しまして、

曰、無何也。是天地之変、陰陽之化、物之罕至者也。怪之可也、而畏之非也。

天地の変とはどんなことだろうか。

夫日月之有食、風雨之不時、怪星之党見、是無世而不嘗有之。上明而政平、則是雖並世起無傷也。上闇而政険、則是雖無一至者無益也。

つまり、隕石や森鳴りは大丈夫ですよ。政治が善ければ害が無い。ところが、

物之已至者、人祅則可畏也。

楛耕傷稼、枯耘傷歳、政険失民、田薉稼悪、糴貴民飢、道路有死人、夫是之謂人祅。

政令不明、挙措不時、本事不理、勉力不時、則牛馬相生、六畜作祅、夫是之謂人祅。

礼義不修、内外無別、男女淫乱、父子相疑、上下乖離、寇讐並至、夫是之謂人祅。

一つあってもたいへんなことだが、

三者錯、無安国。

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「荀子」天論篇より。ええー! 現在、三つで済まないぐらい起こっていますよね。つまり、滅亡する―――!と思ったけど、ほんとのこと言われても困るので、流れ星に祈ってゆめを実現させよう。実質賃金は下がってないような気がしますように。世界中で日本は尊敬されているはずなので本当になりますように。労働生産性もほんとは高いんではないかと思いますように。

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