蛇鼠之類(蛇鼠の類なり)(「東坡志林」)
何処に逃げようかなー。

小動物いじめに関しては、ヘビやネズミよりもおれたちを忘れてもらっては困るニャぜ。
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宋の時代のことですが、
吾昔少年時、所居書室前、有竹栢、雑花叢生満庭。衆鳥巣其上。
吾、昔、少年時、居るところの書室の前に竹栢有り、雑花叢生して庭に満てり。衆鳥その上に巣す。
わしが昔、まだ子どもだったころのこと、実家の勉強部屋の前には竹やカシワの木があって、いろんな花が草むらになって庭中に生えていた。その上の方には、いろんな鳥が巣を作っていたなあ。
当時、おふくろは、生き物を大切にしろとうるさかった。それで、
児童婢僕皆不得捕取鳥雀。数年間皆巣於低枝、其鷇可俯而窺也。
児童婢僕みな鳥雀を捕取し得ず。数年の間にみな低枝に巣し、その鷇(こう)俯して窺うべきなり。
「鷇」(こう)は、鳥のヒナ。ニワトリのヒナ(「雛」)ではなく、ツバメやスズメのような小鳥のヒナです。
子どもたちや女中も下男も、誰も鳥やスズメを捕らなかった。数年のうちに鳥たちは低い枝に巣をつくるようになって、ヒナを上から観察できるぐらいであった。
普通の鳥だけでなく、
又有桐花鳳四五、日翔集其間。
また、桐花鳳四五有りて、日にその間を翔集す。
また、四川名物の「桐花鳳」(とうかほう)という鳥が四五羽いて、毎日そのあたりで飛んだり群れたりしていた。
此鳥羽毛至為珍異難見。而能馴擾、殊不畏人。閭里間見之、以為異事。
この鳥の羽毛は至りて珍異にして見難しと為す。しかるによく馴擾して、ことに人を畏れず。閭里の間にこれを見ること、以て異事と為せり。
この鳥の羽はたいへん珍しいもの、滅多に見られないものとされていた。それなのに、よく馴れて活動しており、全く人間を恐れない。人里付近でこの鳥を見かけることさえ、不思議なことだと言われていたのである。
この鳥には五色の羽があるのだそうです。クジャクはさすがに四川にはいないので、キジの雄のかっこいいやつなのでしょう。
此無他、不忮之誠、信于異類也。
これ他無し、忮(そこな)わざるの誠、異類に信ぜらるるなり。
これは他でもない、危害を与えない、という真心が、人間以外のドウブツにも信頼されていたからである。
野老(いなかのじじい)が言うには、
鳥雀巣去人太遠、則其子有蛇鼠狐狸鴟鳶之憂。人既不殺、則自近人者、欲免此害也。
鳥雀の巣の人を去ることはなはだ遠きは、すなわちその子に蛇・鼠・狐・狸・鴟鳶の憂い有り。人既に殺さざれば、すなわち自ら人に近きは、この害を免れんとするなり。
「鳥やスズメが人間からすごく離れたところに巣を作ると、そのヒナはヘビやネズミやキツネやタヌキやトンビにやられる心配が出て来るものじゃ。・・・人間の方が殺さない、とわかると人間の居場所に近づいてくるというのは、そちらの被害を免れようとするのじゃろうな」
じじいの言うことですが、否定することもできません。
つまり、
異時鳥鵲巣不敢近人者、以人為甚於蛇鼠之類也。
異時、鳥鵲の巣の敢えて人に近づかざるは、人を以て蛇鼠の類より甚だしと為すなり。
(おふくろがやかましく言い始めたよりも)以前には、鳥もカササギもあえて人間の近くに巣を作らなかった。これは、人間はヘビやネズミなどよりもひどいやつらだと考えていたからなのだ。
・・・ということで、幼いころの回想は終わり。現実に戻って申し上げさせていただく。
人間の方がドウブツよりも性質が悪いのだ。
苛政猛於虎、信哉。
苛政は虎よりも猛なり、とは信(まこと)なるかな。
ひどい政治はトラよりも厳しい、とは本当のことなのだ。
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宋・蘇東坡「記先夫人不残鳥雀」(先夫人(死んだおふくろ)の鳥雀を残せざるを記す)(「東坡志林」所収)。幼いころの思い出をもとにして、人を迫害する新法党への怒りを表現しております。
苛政の話もしておきますね。
孔子過泰山側、有婦人哭于墓者而哀。夫子式而聴之、使子路問之曰、子之哭也、壹似重有憂者。
孔子、泰山の側らを過ぎるに、婦人の墓に哭する者有りて哀なり。夫子式してこれを聴き、子路をしてこれに問わしめて曰く、「子の哭するや、壹(いつ)に重ねて憂い有る者のごとし」と。
孔子が(門弟たちともに)泰山の麓を通り過ぎたときのことじゃ。
墓場で、おばちゃんが弔いの声を上げて泣いていた。先生は式(車の前の手すり)に手を置いて頭を垂れる「式礼」をしながらこれを聴いていたが、やがて子路をおばちゃんのところに行かせて質問させた。
「あなたの泣き声を聞いていると、いくつかの悲しみが重なっているように聞こえたが・・・」
孔子はえらい人なので、おばちゃんと直接話しすることは無いので、以下の会話も間に子路が入って右往左往しているはずです。
而曰、然。昔吾舅死于虎、吾夫又死焉。今吾子又死焉。
すなわち曰く、然り、と。昔、吾が舅、虎に死し、吾が夫また死せり。今、吾が子また死せるなり。
すると、おばちゃんは答えた。
「そのとおりです。むかし、わたしの義父がトラに殺されました。わたしの夫も殺されました。今度は、わたしの子が、また殺されたのでございます」
夫子曰、何為不去也。
夫子曰く、何すれぞ去らざるや。
先生が問われた。
「どうしてここから去ってしまわないのじゃ?」
曰、無苛政。
曰く、苛政無ければなり。
答えて言った、「この地域には、きっつい御政道がありませんので」
ああ。
夫子曰、小子識之。苛政猛于虎也。
夫子曰く、小子これを識(しる)せ。苛政は虎よりも猛なり、と。
先生はおっしゃった。
「若い者たちよ、よく覚えておくがいい。キッツい政治はトラよりも厳しいのだ、と」
(「礼記」檀弓下篇より)
ホントですよね。おまけに道義も方向性も無い、とかなったら・・・。なんとか方針演説聞いてないけど後で確認しとくか。
それにしても、猛とか虎とかおばちゃんとか、これは関西かも知れません。