名知不足(足らざるを知ると名づく)
いつも腹いっぱいになってしまいます。八分目ぐらいにできればいいのですが。

キャラメル軍団でもぐちゃぐちゃに食って体力確保しようかと思ったが、歯が痛くなるので止めておきます。年をとるといろいろ思い通りに行きませんですのじゃ。
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安徽・歙県のひと、鮑以文は
於乾隆三十八年進書三百余種、奉旨賞図書集成一部、郷里栄之。
乾隆三十八年において進書すること三百余種、旨を奉じて「図書集成」一部を賞され、郷里これを栄とす。
乾隆三十八年(1773)に、三百余種類の(珍しい)書物を献上したので、帝のご指示により、官からできたばかりの大百科事典「古今図書(ずしょ)集成」一部をお褒めのためにいただいた。地元ではたいへん光栄なことだと沸き立ったのであった。
その後も本を集め続け、
嗣校刻知不足齋叢書、先成二十四集。
嗣いで「知不足斎叢書」を校刻し、まず二十四集を成す。
次いで、「知不足斎(これが彼の書斎名である)の集めた書物」シリーズを校正の上で出版し、まずは第二十四集まで出した。
嘉慶二十年(1815)、この叢書が宮中にも伝わった。
嘉慶帝、これをご覧になって、所管の巡撫(省の長官クラス)に指示して曰く、
朕近日読鮑氏叢書。亦名知不足齋。為語鮑氏、勿改原名。
朕、近日、鮑氏の叢書を読む。また名づけて「知不足斎」とせり。ために鮑氏に語れ、原名を改むるなかれ、と。
わしは、最近、鮑氏のシリーズものを読んだ。鮑氏シリーズだが、「足らざるを知る斎」の名前で出版している。わしのかわりに、鮑氏に言っておいてくれ、この名前を改めることがないように、と。
朕帝王之知不足、鮑氏乃読書人知不足也。
朕は帝王の足らざるを知れり、鮑氏はすなわち読書人の足らざるを知れるなり。
わしは、帝王として、まだ何が足らないのかを日々考えている。鮑氏の方は、読書人として、まだ何が足らないのか(もっとあんな本とかあんな本を集めなければ)と日々考えているのだろう。
かっこいい。こんな言葉をいただいたら、ありがたきシアワセにござります。
迨叢書二十五至二十八集進呈、有旨賞以文挙人。
叢書二十五より二十八集の進呈に迨(およ)びて、旨有りて賞して以文を挙人とせり。
シリーズの25集から28集までが出来て皇帝に進呈申し上げると、皇帝のご指示が降って、鮑以文には「挙人」(科挙の地方試験の合格者)の資格を賜った。
稽古之栄、益非意料已。
稽古の栄、ますます意料に非ざるのみ。
古いことを研究することに与えられた栄光、さらに考えも及ばないことになったわけである。
さて、わたくしの知るところ、
以文少習会計、流寓吾浙、因家焉。以冶坊為世業、而篤愛古書、載籍極博、精心校勘、耄老不倦。
以文は少(わか)くして会計を習い、吾が浙に流寓して、因りて家をなせり。冶坊を以て世業と無し、しかれども古書を篤愛して、載籍極めて博く、精心に校勘して、耄老も倦まず。
鮑以文というひとは、若いころに会計学を学んで、わたしの郷里である浙江にやってきて、(商家の経理などを掌理して)住みついた。もともと代々鍛冶屋であったということだが、古い書物をたいへん愛して、手に入れた書籍はたいへん広範囲、それらを精魂こめて校勘して、年をとっても厭きることがなかった。
洵有功於芸林者也。
洵(まこと)に芸林に功有る者なり。
本当に、技術や芸術の世界に大きな功績を遺した人である。
彼が集めたのは、儒学や歴史の研究書のようなガチガチの書籍ではなかったことがわかるのである。
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清・陳康祺「郎潜紀聞」四筆巻一より。わたしどもこそいろいろ足りないのは分かっているんです。耄老する前にもっともっと努力して社会にお返ししなければ・・・。だが、今日はもう体調不良により寝ます。ふがふがなんじゃ。