人生非金石(人の生は金石にあらず)(「良寛詩」)
秋が深まってまいりました。

おれもこつじきの旅に出るでカメ。ゆっくりと。
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我が国でのことですが、
八月涼気至、鴻雁正南飛。
八月涼気至り、鴻雁は正に南に飛ぶ。
旧暦八月には涼しい気がやってきて、白鳥や雁がちょうど南に渡ろうとするころだ。
今年はほんとに暑かった。涼しくなってきましたので、
我亦理衣鉢、得得下翠微。
我もまた衣鉢を理(おさ)め、得得(とくとく)として翠微を下らん。
わしも着るものと鉢一つを整頓して、てくてくとこの青い山を下ろう。
乞食行脚に行くんです。
野菊発清香、山川多秀奇。
野菊は清香を発し、山川は秀奇多し。
野の菊はさわやかなにおいを香らせ、山にも川にも他にはない秀でた景色が多く見られる。
「放浪など止めておけ」
とおっしゃるが、
人生非金石、随物心自移。
人の生は金石に非ざれば、物に随いて心自ずから移らん。
人間の生命は金属や石のように永遠というわけではない上に、外の物に引っ張られて気持ちがあちこち変わっていく。
誰能守一隅、兀兀鬢垂糸。
誰かよく一隅を守りて、兀兀として鬢に糸を垂る。
「兀兀」(ごつごつ)は「山のように寝転がっている姿」です。
誰がいったい(この季節にも)世界の片隅のようなこの越後の国に住んで、ごろごろと鬢に白い糸を垂れさせて(じっとして)いられるだろうか。
わたしもそろそろ自由の天地に向けて出かけようと思います。
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本朝・大愚良寛「詩集」より。秋になると収穫も始まるので、われら放浪者にはありがたい季節だ。夏は暑かったしなあ。
人生金石に非ず、はチャイナ漢代の「古詩十九首」に出て来る言葉です。ついでに紹介しておきます。
廻車駕言邁、悠悠渉長道。
車を廻らせて駕して言(ここ)に邁(すす)み、悠悠として長道を渉る。
馬車を操ってここまでやってきたが、まだはるばると長い道を見つめるばかりだ。
人生の目標は遠いのです。
四顧何茫茫、東風揺百草。
四顧すれば何ぞ茫々たる、東風は百草を揺るがす。
四方を見ればなんとも荒れ果てた土地ではないか、東の風は畑の百種類の草を揺らしている。
ああ。
所遇無故物、焉得不速老。
遇うところ故物無し、焉んぞ速やかに老いるを得んや。
この間、一人も見知った人には会わなかった。(孤絶しているので)もうどんどん速やかに老いていきたいものだ。
盛衰各有時、立身苦不早。
盛衰はおのおの時有りて、立身は早からざるに苦しめり。
盛んになったり衰えたりというのは、各自にそうなるべき時があるのだというが、わたしは身を立てる(社会の一員として暮らす)のが遅くて苦しいぐらいである。
人生非金石、豈能長寿考。
人の生は金石に非ず、あによく長く寿考あらんや。
人間の生命なんて、金属や石でもないのだから、どうして長く寿命を延ばした老人がいることがあるだろうか(いや、いない)。
奄忽随物化、栄名以為宝。
奄忽(えんこつ)として物の化に随い、栄名を以て宝と為さん。
たちまちのうちに他者が変化していくのに従順にしたがっていくしかないだろう。これまでに得た高い評判を大切にしていこうと思う。
「栄名を以て宝とする」というのが少しわかりません。もうちょっと後世になればそんなもの宝にもならない、と否定されることになると思います。