10月20日 明日の関西行きなくなる

割裂棄毀(割裂し棄毀す)(「王陽明集」)

なんで行かなくなったんですかね。体力切れか。永井荷風翁はもっと年寄りになってもカツレツ食べていたそうですが、わたしはもうそんなの食べられません。牛丼はいけるかも。

すいか男トムソンだ。割れたり裂けたりすると中身が出てきて大変なことになるぞ。

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明の嘉靖四年(1525)正月、浙江・紹興の稽山書院に尊経閣という講堂が出来ました。

そこで、「経を尊ぶ」ということについて、地元出身で軍事に大活躍の大先生におことばを賜った。

大先生は「経」とは何か、それは各人の中にある「良知」を致す、行けるところまでそれを行かせる、という時代を超えた「常なる道」のことである―――という大先生特有の理論をお話しになられました。

これは人間のものすごい財産である。古代の聖人たちが編纂した「六経」(詩・書・易・礼・春秋+古代に湮滅したという「楽」についての経典)は、この財産をいくつかの分野に分類した「記籍」(目録)であり、「六経」そのものはそんなに尊ぶ必要はないんだが、目録が無いと困るやつもいるので聖人が作ってくれたんである―――と、これも、当時ではトンデモなことを話しているうちに、やはり、というべきでしょう、怒ってきました

嗚呼。六経之学、其不明於世、非一朝一夕之故矣。

長い間、どんなふうになってきたか。

尚功利、崇邪説、是謂乱経。

怪しからん。だが、もっと怪しからんのは、

習訓詁、伝記誦、没溺於浅聞小見、以塗天下之耳目、是謂侮経。

しかし、もっと怪しからんやつがいるのじゃ。

侈淫辞、競詭弁、飾奸心盗行、逐世壟断、而猶自以為通経、是謂賊経。

書院で学ぶマジメな学生たちは、背筋に汗が流れたという。

若是者是并其所謂記籍者、而割裂棄毀之矣。

カツレツしてキキしているのだ!

寧復知所以為尊経也乎。

こんなやつが、今、この「尊経閣」にいるわけないよね?

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明・王陽明「稽山書院尊経閣記」(稽山書院の尊経閣設立の記念の書)(「王文成公全集」巻七所収)より。「大先生」はもちろん、王陽明先生です。

うーん。うーん。うーん。

反省してみましたが、わたしは別に経を乱したり侮ったり山賊みたいに害したり、はしてません。読まなかったり、ぼいと放り出してほっといたり、どこかに埋もれてしまってどこにあるかわからなかったり、何の本だかわからないから踏みつけたり、そのときびりりと破けて「いけね」と思ったり、ということをすることはあっても、明の時代に書院にいて、訓詁を学び読み方を伝授し、かっこいい言葉遣いをしたり、つまり当時マジメに勉強している人のような勉強はしていないので、大丈夫です。みなさんとともに。

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