琴鶴蕭然(琴鶴蕭然たり)(「秋水軒尺牘」)
お客さんが増えたなあ、と思ったら、岡本全勝さんHPにて、大きくご紹介していただいてました。全勝さんにはお金貸してなかったと思うので、そのお礼ではないと思いますが・・・。待てよ、こっちはどうだっけ。

借金返さないとどうなるんでしたっけ。
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借金のお礼をしてみましょう。
清の時代のことですが、
重九前一日読報章、慨然緩急相周。
重九前の一日、報章を読み、緩急に相周せしことに慨然たり。
「重九」は旧暦の九月九日、「重陽の節句」のことです。陽の数(奇数)最大(一桁で、ですが)の「9」が二つ重なる日、ということで、昔からめでたい節句、見晴らしのよい小丘に一族の者で登って菊酒を酌み交わす「登高」と呼ばれる行事が行われる日でございました。今年の重陽だと10月23日だそうです。
重九の節句の前日(つまり旧暦の九月八日)に、あなたからのお返事を読みました。以前、人生が思い通りに行かなかったとき、お助けいただいたことを思い出して、涙が溢れてまいりました。
「報章」はこちらが出した手紙への相手からの返事の手紙のことです。「緩急」は緩かったり急だったりして生活が思い通りにいかない、貧乏である、の意。「周」は「周旋」の「周」で助けてくれる、「相」がついていますが、これは「相手のいる行為」につける接頭辞みたいなもので、「お互いに」の意味ではありません。この場合は向こうがわたしという相手を助けてくれたこと、を言っています。「慨然」は怒りや悲しみで憤り嘆くこと。ここでは感動した、ぐらいの意味でしょう。
昔、鍾離意薦友入都、特贈治装之費。今弟為貧謀仕、閣下不責其非分之干、而有求必応、在遠不遺。
昔、鍾離意(しょうり・い)は友に入都を薦めて、特に治装の費を贈る。今、弟の貧のために仕えんことを謀るに、閣下はその非分の干(もと)めを責めず、しかも求め有れば必ず応じ、遠き在りても遺されず。
昔、後漢の名臣・鍾離意は、友人に都に出て仕官することを薦めるとともに、出かける用意を整える資金も贈ったというのですが、現代では、わたくしめ(「弟」)が貧乏をなんとかしようと仕官を求めていたとき、あなださまはわたしめの分不相応な要望を批判もなさらず(におカネを貸してくれて)、さらにその後も求めるたびに対応して下さり、遠いところにいるときもお忘れにならずにいてくださいました。
鍾離意のことは「後漢書」列伝31にあります。若いころは後漢初代の光武帝に仕え、ある時、徴発された農民をとある作業場まで引率するに当たって冬になってしまい、宿駅の官に人数分の冬服を用意させ、農民たちを凍えさせないようにしてから先導した。駅長は無用の出費をさせられた、と非難の書を送ったので、光武帝は宰相にその弁償を命じるとともに、
真良吏也。
真の良吏なり。
「この男は、(徴発された農民を人間扱いして対策を取れる)本当の「よき官吏」だな」
と称賛したという。・・・①
後、二代目の明帝の時に宰相となるが、帝の奢侈をたびたび諫言したため、魯の相として左遷され、病を得て卒した。
此種高情、並足千古。且氷清座上琴鶴蕭然、乃以莱蕪之甑塵潤漆園之鮒涸。
この種の高情、並びに千古に足る。かつ、氷清の座上、琴鶴蕭然として、すなわち莱蕪(らいぶ)の甑塵(そうじん)、漆園の鮒の涸を潤せり。
まためんどくさい故事を引いてきてまっせ。「氷清」はどこかに出典があると思いますが、「氷のように清らか」な清廉潔白な性格の人のことです。「琴鶴」は、宋の趙抃(ちょうべん)の故事、
趙抃知成都府、匹馬入蜀。以一琴一鶴自随。
趙抃、成都府を知るに、匹馬にて蜀に入る。一琴一鶴を以て自ら随うのみ。
趙抃は四川の成都府の知事になったとき、たった一匹の馬に乗って蜀に赴任した。荷物としては、一張の琴と、一羽のペットの鶴だけを、自分で持って行ったのだ。
趙抃(1008~84)は後に顕貴におもねらずに非法のことを批判して「鉄面御史」と言われるようになった清廉な官僚であったことから、後に「琴鶴」は清吏の代名詞となった。(「宋史」巻316) ・・・②
「莱蕪の甑塵」は、これも「後漢書」にいう、
范丹、字史雲、為莱蕪長。民歌之曰、甑中生塵范史雲、釜中生魚范莱蕪。
范丹、字・史雲、莱蕪の長と為る。民これを歌いて曰く、「甑中に塵を生ず范史雲、釜中に魚を生ず范莱蕪」と。
范丹は字を史雲といい、莱蕪の村の長となった。村民たちは歌って言った、
蒸す米が無いので、こしきの中にはごみばかり、范史雲どの。
炊く米が無いので、かまの中には魚が及ぶ、范莱蕪村長。
と。その貧しく、しかし清廉なるを讃えたのである。
莱蕪の甑の塵、とは、飯も炊けない貧乏役人の生活をいっています。・・・③
「漆園」は蒙の漆林の管理人であったという荘子(名・周)のことで、その「鮒の涸」とは、「荘子」外物篇にいう、
荘子が河川監督官(監河侯)に借金を申し込んだところ、相手は「間もなく税収が入るから、そうしたら三百金貸してやろう」と言った。そこで、荘子が言った、
周昨日道視車轍中有鮒魚焉。
周、昨日、道に車轍中に鮒魚有るを視る。
わたくし荘周は、昨日、道路の車の轍の痕の水たまりにフナがいるのを見かけました。
そのフナが、「一杯の水を注いでくれ」という。そこでわたしは、「わかった。これから楚の国に行って、長江の水を引っ張ってきてやろう」と言うと、フナは怒りだして、「おまえさんが長江の水を引っ張ってきたときには、ここにフナの干物を見つけるだけだろう。わしは今ここで、それが欲しいのだ!」と言った。おまえさんも今ここで、わしに金を貸してくれんと困るんよ。 ・・・④
という有名な故事を踏まえております。
これでやっと現代語訳が出来ますね。
あなたの示してくれた高水準の愛情は、どうみても千年の歴史にも十分耐えることができるだろう。しかも、あなたは氷のように清らかな性格、琴と鶴しかいない(②)家の中はものさびしい。つまり、莱蕪の村長さん(のようなあなた)の甑の中のゴミ(③)が、漆園管理人・荘周の見かけたフナ(のようなわたし)が干物になる(④)のを防ぐように濡らしてくれた、ということだったのです。
相手も貧乏だったことがわかりました。
不特飲情知感、更令戴徳難安矣。惟冀掣分直省得於肜驂紫蓋間、供其駆策。此実邀君之福、而即弟之所以報也。
ただに情を飲みて感を知るのみならず、更に徳を戴きて安んじ難からしむ。ただ冀わくば、分を直省に掣(ひ)きて、肜驂(ゆうさん)・紫蓋(しがい)の間に、その駆策を供うるを得んことを。これ実に君の福を邀え、即ち弟の報ずる所以なり。
(あなたも貧乏だったので)ただ、温かい人情を味わって感動を知るだけではなく、さらにあなたのお恵みをいただいたままでは安んじてはいられない、というキモチにさせられました。(あなたは今中央省庁におられるので、)ぜひ、今度の各地出張のおりには(当時の中央の官僚は分担して出張する時、その行き先はクジ引きで決めましたので)クジでわたしのいる直隷省(北京の近郊)を引いていただきたい。そうすれば、わたしは、あなたを乗せた赤い三頭立ての馬車の紫の傘のかたわらで、ムチを当てて馬車を走らせるのをお世話させていただけます。それは、実はあなたの福徳をお迎えさせていただくことになりますし、わたしのあなたへの御恩返しにもなることでございましょうから。
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清・許葭村「秋水軒尺牘」第八十七則「謝順徳司馬李借銀」(順徳司馬の李さんに借銀のことを感謝する)。すごく持ち上げています。借金のお礼はこうでなくては。が、この本には他にも借金を感謝する尺牘(手紙文)がいくつか入っていますので、許葭村はかなり借金をしていた人のようです。文中、科挙かなんかに出るかも知れないので覚えておかないといけない故事成語がいくつかあります(①~④)ので、一文で故事成語が四箇も覚えられるとはすばらしいです。
それにしても、最初の「あなたからのお返事」の内容が書かれていないのですが、もしこれが「むかし貸した金を返してくれ」だったと思って読むと怖ろしい文章ですね。