従来非買山(従来、買山に非ず)(「寒山集」)
人間が大地を「所有」する、なんてことができるとは思えないのですが、ローマの人が土地所有権を考えた。

変なモノ飲まさないでモー。
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東晋の名僧・支遁、字は道林は、
因人就深公買印山。
人に因りて深公に就きて印山を買わんとす。
人を介して、先輩の法深和尚から印山の土地(の一部)を買い取ろうとした。
法深が住んでいたのは廬山の「叩山」なので、「印山」は誤りか、あるいは別の人の話と混乱してのであろうとも言われますが、まあ細かいことは気にしなさんな。
法深和尚は言った、
未聞巣由買山而隠。
いまだ聞かず、巣由の山を買いて隠れしを。
「巣由」とはなんでしょうか。晋・皇甫謐「高士伝」にいう、
・・・超古代のある日、隠者の許由(きょゆう)は
洗耳於穎水濱。
穎水の浜に耳を洗う。
河南の穎水のほとりで耳を洗っていた。
其友巣父牽犢欲飲之、見由洗耳、問其故。
その友・巣父、犢を牽きてこれに飲まさんとするに、由の耳を洗うを見て、その故を問う。
友人の巣父(そうほ)が、かわいい子牛を引っ張って、水を飲まそうと川のほとりにやってきて、許由が耳を洗うのを見て、何故そんなことをしているのか問うた。
許由は答えて言った、
堯欲召我為九州之長。悪聞其声、是故洗耳。
堯、我を召して九州の長たらしめんと欲す。その声を聞くを悪み、このゆえに耳を洗うなり。
「さっき帝の堯のやつが来て、わしを九つの州から成るこの天下の首長(=帝)になってほしい、と言ったのじゃ。そんな言葉を聞いたのがイヤなので、ここで耳を洗っておるんじゃ」
「うひゃあ!」
巣父は驚いて、言った。
汚吾犢口。
吾が犢の口を汚さん。
「そんな水を飲ませたら、わしのかわいい子牛の口が汚れてしまう」
そして、
牽犢上流飲之。
犢を上流に牽きてこれに飲ましむ。
子牛を引っ張って、許由よりも上流に行って、水を飲ませた。
いい話だなー、と涙がにじんでまいるほどですが、この「巣父」と「許由」の二人を合わせて「巣・由」です。
法深和尚の言葉は、
「巣父や許由が隠者になるとき、山を買ったなんて聞いたことはないぞ」
そんな経済行為などせずに、勝手に棲みつきにこい、ということです。
それを聞いて支遁和尚は、
「そうですか」
と勝手にやってきて住みついた、という。
ここまでは、宋・劉義慶「世説新語」排調二十五より。
ということですから、曰く、
自在白雲閑、従来非買山。
自ずから白雲の閑なるに在り、従来より山を買うには非ず。
自然に白い雲ののどかな世界にやってくればいいので、昔から山を買う必要はないんだ。
下危須策杖、上険捉藤攀。
危を下るには須らく杖を策(つ)くべく、険に上るには藤を捉えて攀ずるべし。
危険な坂を下る時には杖をついて慎重に。険しい崖を昇る時には、藤の蔓をつかんで攀じ登れ。
その先には、
澗底松常翠、渓辺石自斑。
澗底に松常に翠(みどり)にして、渓辺に石自ずから斑あり。
谷の底に、松があって、永久えに緑の葉をつけ、川のほとりの石には、いつついたのか、まだらに苔が生している。
隠棲すると、
友朋雖阻絶、春至鳥関関。
友朋と阻絶すといえども、春至れば鳥、関関(かんかん)たり。
友人や知り合いとは遠く離れてしまうけれど、春になったら鳥がやってきて、かあかあとうるさく呼びかけてくるぞ。
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伝・唐・寒山「寒山集」より。おカネは大事です。やっぱり買わずに勝手に住み着けばいいんです。その分、株でも買っとけ、イヤなら寄付しろ納税しろ・・・ということじゃよ。