10月17日 経験だけでなく歴史からも学ぼう

興実在徳(興るは実に徳に在り)(「剣閣銘」)

ほんとですよ。

どんなに堅固な山河やあるいはウロコ・表皮などで守ろうとしても、あたちたち悪の精霊が食べてやるわよ。いひひひ。

岩や金属でも食べちゃうし、どんぶり飯100杯ぐらいの量でも食べちゃうわよ、おほほほ。

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晋の時代、長安方面から四川に入る時に越えねばならないのが、剣閣(又は「剣門閣」)と呼ばれる要害です。

巌巌梁山、積石峩峩。

惟蜀之門、作固作鎮。是曰剣閣、壁立千仞。

しかし、こんな要害でも、敵を防ぎきることはできないのです。

昔在武侯、中流而喜。

この句は、「史記」呉起列伝の以下のエピソード(故事)に基づいています。

魏武侯浮西河而下、中流顧而謂呉起、笑曰、美哉乎河山之固、此魏国之宝也。

と。

呉起は答えて言った、

在徳不在険。

そして、いろいろ古代からの国の滅亡を引用して政治が乱れると国が亡びることをくどいぐらい並べて、結論、

若君不修徳、舟中之人尽為敵国。

武侯は言った、

善。

さすが名君ですよ。みなさんの舟に乗っている人にはみなさんの敵国はいませんか。

――さて、また現代(3世紀、晋の時代)の剣閣に戻ります。

山河之固、見屈呉起。興実在徳、険亦難恃。

ということに気づいたのですが、

覆車之軌、無或重迹。勒銘山阿、敢告梁益。

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晋・張載「剣閣銘」(「文選」巻五十六所収)より。それで、剣閣の岩にはこの銘が刻み込まれていたそうなんです。

張載の後、500年を経て、ほとんど銘の字も風化したころ、同じ道を唐の玄宗皇帝が通りかかった。

安禄山の乱で長安から蜀に亡命(その間に楊貴妃をぶっ殺す)していく道すがら、これを読んだのである。

―――興実在徳、険亦難恃。

・・・「うーん」
玄宗は深くためいきをついて、詩を吟じた。

剣閣は雲に横たわって険しく、わしの輿は、やっとここまで逃れてきたのだわい。
左右は緑の岩が屏風のように数千メートル聳え立ち、赤い岩の切通は、伝説の五人の勇者が切り開いた道だという。
背の高い木々の向こうには天子の旗が見え隠れし、仙界から降りてくる雲は馬に押し退けられてこちらまでなびいてくるわい。

乗時方在徳。 時に乗ずるはまさに徳に在り。
嗟爾勒銘才。 嗟(さ)す、爾の銘を勒するの才に。

わしももう少し早くこの銘を見にきておくべきだったのであろう。・・・

唐・李隆基(玄宗帝)「幸蜀西至剣門」(「蜀に幸して西のかた剣門に至る」詩(「唐詩選」巻三所収)より。想像ではなく、自己の体験に基づく実録モノです。貴重だ。

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