興実在徳(興るは実に徳に在り)(「剣閣銘」)
ほんとですよ。

どんなに堅固な山河やあるいはウロコ・表皮などで守ろうとしても、あたちたち悪の精霊が食べてやるわよ。いひひひ。

岩や金属でも食べちゃうし、どんぶり飯100杯ぐらいの量でも食べちゃうわよ、おほほほ。
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晋の時代、長安方面から四川に入る時に越えねばならないのが、剣閣(又は「剣門閣」)と呼ばれる要害です。
巌巌梁山、積石峩峩。
巌巌たる梁山、石を積みて峩峩(がが)たり。
ごつごつとした梁の山、岩石が積みあがってぎしぎしと険しい。
惟蜀之門、作固作鎮。是曰剣閣、壁立千仞。
これ蜀の門、固きを作し鎮を作す。これ曰く「剣閣」、壁立すること千仞なり。
これこそ蜀の地に入る門で、堅固であり重鎮である。ここを言う「剣の閣」と。壁のように岩石が数千メートルの高さまで聳えている。
しかし、こんな要害でも、敵を防ぎきることはできないのです。
昔在武侯、中流而喜。
昔、武侯の中流に在りて喜ぶあり。
むかしむかし、魏の武侯が、川の流れの真ん中にいて喜んだことがありましたよね・・・。
この句は、「史記」呉起列伝の以下のエピソード(故事)に基づいています。
魏武侯浮西河而下、中流顧而謂呉起、笑曰、美哉乎河山之固、此魏国之宝也。
魏の武侯、西河に浮かびて下り、中流に顧みて呉起に謂いて笑いて曰く、「美なるかな、河山の固なること、これ魏国の宝なり」と。
戦国の時代、魏の名君・武侯さま(在位前395~前370)が、新たに征服した蜀の西河に舟を浮かべて遊覧した。その時、川の真ん中あたりで軍師の呉起の方を顧みて、笑いながら言った、
「すばらしいなあ、この山と川の堅固なことは。我が魏の国のたからものじゃ」
と。
呉起は答えて言った、
在徳不在険。
徳に在りて険に在らず。
「国が堅固か否かは、政治的に徳があるかどうか、にあります。山や川の険阻は、たのみになりませぬ」
そして、いろいろ古代からの国の滅亡を引用して政治が乱れると国が亡びることをくどいぐらい並べて、結論、
若君不修徳、舟中之人尽為敵国。
もし君、徳を修めざれば、舟中の人ことごとく敵国たらん。
「もし殿が、政治的な徳を修めなければ、いまこの舟に乗っている者たちはみな、敵になりましょう」
武侯は言った、
善。
善し。
「よう言うた」
さすが名君ですよ。みなさんの舟に乗っている人にはみなさんの敵国はいませんか。
――さて、また現代(3世紀、晋の時代)の剣閣に戻ります。
山河之固、見屈呉起。興実在徳、険亦難恃。
山河の固も、呉起に屈せらる。興るは実に徳に在りて、険もまた恃み難し。
山や川が険阻であっても、呉起にはやられてしまうではないか(呉起は魏の軍を率いてこの剣閣を越え、秦の国に攻め入った)。国が興る(か亡びる)のは、本当に徳の問題なのだ。険阻な地形など頼むに足りない。
ということに気づいたのですが、
覆車之軌、無或重迹。勒銘山阿、敢告梁益。
覆車の軌、あるいは重迹無からん。銘を山阿(さんあ)に勒(ろく)して、敢えて梁と益に告ぐ。
前を行く車がひっくり返ったら、その轍を踏まないようにして自分の車はひっくり返らないようにしないといけない―――のだが、もしかしたら車の重さが足りなくて轍の跡がついていないかも知れない。そこで、わたしはこの銘文を山かげの岩に刻んで、無理にでも東麓の梁(魏国)の人と、西の山地の益(蜀国)の人たちにわかるようにしておこう。
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晋・張載「剣閣銘」(「文選」巻五十六所収)より。それで、剣閣の岩にはこの銘が刻み込まれていたそうなんです。
張載の後、500年を経て、ほとんど銘の字も風化したころ、同じ道を唐の玄宗皇帝が通りかかった。
安禄山の乱で長安から蜀に亡命(その間に楊貴妃をぶっ殺す)していく道すがら、これを読んだのである。
―――興実在徳、険亦難恃。
興るは実に徳に在りて、険もまた恃み難し。
・・・「うーん」
玄宗は深くためいきをついて、詩を吟じた。
剣閣は雲に横たわって険しく、わしの輿は、やっとここまで逃れてきたのだわい。
左右は緑の岩が屏風のように数千メートル聳え立ち、赤い岩の切通は、伝説の五人の勇者が切り開いた道だという。
背の高い木々の向こうには天子の旗が見え隠れし、仙界から降りてくる雲は馬に押し退けられてこちらまでなびいてくるわい。
乗時方在徳。 時に乗ずるはまさに徳に在り。
嗟爾勒銘才。 嗟(さ)す、爾の銘を勒するの才に。
時勢に乗る、乗らないは、確かに徳の問題だよな。
ああ、とため息も出るわいのう、おまえさんが、この岩にコトバを刻んでいった智慧には。
わしももう少し早くこの銘を見にきておくべきだったのであろう。・・・
唐・李隆基(玄宗帝)「幸蜀西至剣門」(「蜀に幸して西のかた剣門に至る」詩(「唐詩選」巻三所収)より。想像ではなく、自己の体験に基づく実録モノです。貴重だ。