号羅青天(羅青天と号す)(「嘯亭雑録」)
上司が見ていて替えてくれたので助かりました。この人の場合は。

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清の羅含章は雲南の人、科挙の乙科に及第し、
仕廣東県令、以廉直称。年五十余、猶沈淪下僚、宦興已久闌矣。
仕えて廣東県令となり、廉直を以て称せらる。年五十余、なお下僚に沈淪し、宦興すでに久しく闌なり。
すぐに採用されて廣東の県令になって、廉潔で正直だと称された。ところが、その後は五十余歳になるまでずっと下っ端官僚に沈んだままで、役人としてのやる気は長いこと果たされなかったのである。
ところが、道光の初年(1821)、推薦する人があって閉塞状態が破れ、肇羅県、次いで山東・兗浙府の令に任ぜられ、一年も経たないうちに福建の巡撫に抜擢された。
近年宦途未有若是之速也。
近年の宦途、いまだかくのごとくの速やかなる、有らざるなり。
近年の官僚人事では、これほど速やかに出世した例というのは無い。
公、愛民潔己、莅官時召父老至、淳淳教誨、至於涕下沾膺。故百姓感戴如父母。
公、民を愛し己を潔ぎよくし、官に莅(のぞ)むの時、父老を召して至るに、淳淳として教誨し、涕下りて膺(むね)を沾(うる)おすに至る。故に百姓感戴して父母の如し。
羅どのは、人民を愛し、自分には潔癖を求め、赴任した時には土地の指導的な長老たちを呼び集めて、彼らが至るとじゅんじゅんと人民の道を説いて、ついに涙を流して胸をびしょびしょにしてしまうほどであったから、人民たちは感動して彼を敬愛すること、父や母を愛するごときであった。
という人間性が評価されたのであろう。
号為羅青天。
号して「羅青天」と為せり。
ひとびとは、「青空のような羅のだんな」と呼んでいた。
青空のように澄み切って、公平な人、ということなのでしょう。
ところが、この人は、
然性質憨、易受下官欺侮、莅斉撫数月、為僚属所掣肘、不能布施一策。
然るに性質憨(おろ)か、下官の欺侮を受けるに易く、斉に莅みては数月にして、僚属の掣肘するところと為りて、一策を布施する能わず。
しかしながら、性格的にはおろかな田舎者であった。部下にだまされたり部下から与しやすいと思われやすく、福建から山東に転勤したときは、数か月後にはスタッフや部下に行動を妨げられて、一つの政策も行うことができなかった。
頭も青空みたいだったのです。
上知之、改調江西、公如獲更生云。
上これを知り、江西に改調して、公、更生を獲たるが如しと云えり。
道光帝はこの実情を知りたまい、すぐに江西省に配置換えしてくれたので、彼は「生まれ変わることができた」と言って感謝したということである。
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清・愛新覚羅昭連「嘯亭雑録」続録巻四より。おろかな上司をいじめるとは怪しからん奴らじゃ、いじめてやる! とまたやられてしまいますよ。10回表に3点とったら10回裏に4点とられるみたいなもの(今日のパリーグCS1stによる。しかもその日のうちに監督解任か!)で、最後は誰が勝者となり敗者となるのか、賢者にもわからないのではないでしょうか。賢者じゃないので知りませんが。