10月13日 プロはたいへんらしい

有法可伝(伝うべきの法有りや)(「鶴林玉露」)

ぎりぎりの言葉にできないような奥義があるらしいんです。

プロの魚食いの姿を見せてやるにゃ。くじらは無理にゃ。ひとでは・・・

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唐の玄宗皇帝、馬の画の名人・韓幹(昨日の詩に出てきました弟子の方です)に名馬を画かせようと、

令観御府所蔵画馬。

すると、韓幹は言った、

不必観也。陛下厩馬萬匹、皆臣之師。

現物を見れば大丈夫、というわけらしい。

また、北宋の大絵師・李伯時は特に馬を画くに長けるといわれていたので、太僕卿の曹輔は、太僕が預っている宮中の馬をすべて見せた。

李伯時毎過之、必終日縦観、至不暇与客語。

絵を描くには、細部の観察よりも、生きているそのものの姿を見ることが大事らしいんです。

大概画馬者、必先有全馬在胸中。若能積精儲神、賞其神俊、久久則胸中有全馬矣。信意落筆、自然超妙、所謂用意不分乃凝于神者也。

そんなことよく言うんですか。分別を乗り越えて無我の境地になると、すごい精神集中できる、というようなことでしょうか。

馬だけではないんです。

巣無疑工画草虫、年邁愈精。余嘗問其有所伝乎。

すると、彼は笑って言った、

是豈有法可伝哉。

某自少時、取草虫籠而視之、窮昼夜不厭。

それぐらい虫が好きじゃった。しかし、

恐其神之不完也、復就草地之間観之、于是始得其天。方其落筆之際、不知我之為草虫耶、草虫之為我也。

此与造化生物之機鍼蓋無以異、豈有可伝之法哉。

と。

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宋・羅大経「鶴林玉露」丙篇巻六より。自然のままのものを観察しなければ、その真の姿は得られないのである。

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