言不合理(言、理に合わず)(「土風録」)
ぶりぶりいきますよ。

洩らさずに長生きできるかな。
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現代(清の時代です)、
罵人言不合理、曰洩気。
人の言の理に合わざるを罵るに、「気を洩らす」と曰う。
何を言っているかわけがわからない、という人を罵る時に「空気洩らし」という。
「空気洩らし」とは何であろうか。
宋の時代に、邵篪という人がいたが、
以上殿洩気、出知東平。邵高鼻鬈髯、社人目為洩気獅子。
上殿して気を洩らすを以て、出でて東平に知す。邵、高鼻にして鬈髯、社人目して「洩気の獅子」と為せり。
殿上において「空気洩らし」をしたので、東平県の知事に左遷された。邵篪は鼻が高く髪と髯が巻き毛だった(想像上の獅子に似ていた)ので、仲間たちから「空気洩らしのライオン」と呼ばれた。
「空気洩らし」をすると左遷されます。
元の文人画家・倪雲林は、
令童子担水、以後者洗足。曰、恐其洩気致穢。
童子をして水を担がせしむるに、後者を以て足を洗う。曰く、その気を洩らして穢れを致すを恐るるなり」と。
召使の童子に、水を前後に担がせて連れあるき、(前の桶の水を飲料水や墨を磨るのに用い、)後ろの桶の水を足を洗うのに使っていた。その理由は、「童子が「空気洩らし」をして水が汚れている可能性があるから」というのであった。
「空気洩らし」をすると後ろの水が汚れるようです。
明の魏校が編んだ字書「六書精蘊」を開くと、
子在母胎、諸気尚閉、惟臍内気、囱為通気。既生則竅開、口鼻内気、尾閭為之洩気。
子の母胎に在るに諸気なお閉ざされ、ただ臍より気を内(い)れ、囱(そう)通気を為す。既に生まるればすなわち竅開き、口鼻気を内れ、尾閭これがために気を洩らす。
子どもが母親の胎内にいるときは、外気の呼吸はまだ閉ざされている。ただ、ヘソから気を吸収し、頭のひよめき(頭蓋骨の合っていない部分)から気を出すだけである。母親から生み出されると、上下の穴が開いて口と鼻から空気を入れ、おしりから空気を洩らすのだ。
と書いてあります。
おそらく、もともと「空気洩らし」は、
是即罵人放屁之意。
これ、即ち人の放屁するを罵るの意ならん。
ひとが屁をひったときに、それを罵るコトバだったのであろう。
「屁」が「ぷぴー」とか「ぶり」とかコトバとして意味を成さない音であるので、理に合わない言葉を言うことを「屁をこく」(空気を洩らす)というようになったのだと推測される。
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清・顧張思「土風録」巻八より。勉強になりました。
「自己責任」「グローバリズム」「九条」「聴く力」などなど、意味の無さそうなコトバはたくさんありますが、屁でも放っているのとどちらがマシなのであろうか。