1月6日 見え過ぎちゃったら困るのじゃ

不得不鋤(鋤せざるを得ず)(「三国志」)

今年の予想でも占ってみようかなー。えい! なんと、こんな結果が!・・・と結果を発表しようと思ったのですが―――。

こんな外見上問題無さそうなタイプでも、邪魔になると・・・。

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三国の時代、四川の蜀漢に属した張裕は、占術に長け、劉備が漢中を争わんとする(建安十八年(213)ころ)のを諫して曰く、

軍必不利。

と。

しかし、劉備はその言を用いることがなかったので、張裕はひそかに人に言う、

歳在庚子、劉氏祚尽。主公得益州、九年之後、寅卯之間当失之。

劉備は、

夙銜其不遜、加憤其漏言。

時諸葛亮救之。

ここで劉備が言ったのが名言とされております。

芳蘭当門、不得不鋤。

と反論を封じて、

棄市。

その後、後漢の建安二十年(215)、劉備は漢中を制圧できないままに反転して成都の劉璋政権を攻撃し、益州を奪った。建安二十五年(220年庚子)、魏公曹丕が後漢・献帝の譲りを受けて魏を建国、劉氏の漢は滅亡した。

翌221年、劉備は蜀漢の皇帝として即位、その章武三年(223・癸卯年)、張裕の予言通りの「寅・卯」の間に、卒したのである。おくり名して「昭烈帝」という。

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「三国志」蜀志・周群伝より。張裕のような占いの名手でも「門に当た」って邪魔になるなら処刑されます。いわんや張裕のような能力のない人だったり、あるいはもし占いが当たってしまったりしたらどうなりますことやら。危ういので、占い結果の発表は中止。禍いは口より出でますでのう。

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