1月5日 正月でかなり体がなまってきた

手足不仁(手足不仁なり)(「程氏遺書」)

電気風呂に入ったらびりびり来た。

びりびりドカン、と来るかもね。

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宋の時代のことですが、

医書言手足痿痺為不仁。此言最善名状。

仁者以天地万物為一体、莫非己也。認得為己、何所不至。

一方、

若不有諸己、自不与己相干、如手足不仁、気已不貫、皆不属己。

故博施済衆乃聖之功用。

誰が言ったのだ、と言いますと、孔子が言ったのです。

「論語」雍也篇に曰う、

子貢が問うた、

如有博施於民而能済衆、何如。可謂仁乎。

先生(孔子)は答えた、

何事於仁。必也聖乎。堯舜其猶病諸。夫仁者・・・。

と「仁」の説明がありますが、それは次を見よ。

仁至難言。故止曰己欲立而立人、己欲達而達人、能近取譬、可謂仁之方也已。

ここからは、上の「論語」雍也篇の「それ、仁なるものは」の後の文章がそのまま引用されています。

「仁」そのものを説明はできない。孔子さまは、

欲令如是観仁可以得仁之体。

「(他人のことを)自分に近づけ、自分にたとえて考える。」ここのところを、手足が痺れずに神経が通っている状態と説明するのが一番わかりやすい、と言ってみたんですが、如何でしょうか。

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北宋・程明道・程伊川「程氏遺書」二上より(「近思録」巻一所収)。程氏兄弟のうち、兄貴の程明道のコトバです。兄貴の方が弟より人間性豊かで温かい人なので、神経が通じるように一体になれることを「仁」と言ってくれています。社会が分断されていないと社会の何処かが痛むと痛いのですが、分断されると痺れてしまって何とも思わなくなって、「過疎地に住んでるのは自己責任」と言えてしまったりするんではないでしょうか。

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