手足不仁(手足不仁なり)(「程氏遺書」)
電気風呂に入ったらびりびり来た。

びりびりドカン、と来るかもね。
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宋の時代のことですが、
医書言手足痿痺為不仁。此言最善名状。
医書に言う「手足の痿痺(いび)せるを不仁と為す」と。この言、最も善く名状す。
医学書を開くと、「手足が萎えてしびれている症状を「不仁」という」と書いてある。この定義は、「仁」とは何かを最もうまく表しているといえよう。
仁者以天地万物為一体、莫非己也。認得為己、何所不至。
仁者は天地万物を以て一体と為し、己に非ざる莫きなり。己為(た)りと認得せば、何の至らざるところあらん。
仁ある人は、天地・万物を一体として感じる。自分でないものは無いのである。このように、(すべてが)自分だ、と認識し得れば、どんなところも萎え痺れることは無いであろう。
一方、
若不有諸己、自不与己相干、如手足不仁、気已不貫、皆不属己。
もしこれを己に有せざれば、自ずから己と相干せず、手足の不仁にして気すでに貫かず、みな己に属さざるなり。
万物が自分のものではないというならば、おのずと自分とは何の関わりもないのであり、手足が萎え痺れて気が通じず(神経が知覚しなくて)、それが自分に属するものではなくなっているのと同じことである。
故博施済衆乃聖之功用。
故に、博く施し衆を済(すく)うはすなわち聖の功用なり。
そこで、広い範囲に効果を及ぼし、多くの人を救済するのは、「聖人」のはたらきだと言ったのである。
誰が言ったのだ、と言いますと、孔子が言ったのです。
「論語」雍也篇に曰う、
子貢が問うた、
如有博施於民而能済衆、何如。可謂仁乎。
もし博く民に施し、よく衆を済わば、いかん。仁と謂うべきか。
「もしもですよ、広い範囲の人民に効果を及ぼして、多数のひとを救済することができれば、どうでしょうか。(先生がいつも言っている)「仁」というのはそういうものでよろしいんですか」
先生(孔子)は答えた、
何事於仁。必也聖乎。堯舜其猶病諸。夫仁者・・・。
何ぞ仁において事とせん。必ずや聖なるか。堯・舜すらそれなおこれに病(なや)めり。それ、仁なるものは・・・。
「どうして「仁」の議論になるんじゃ? それは「聖」についての説明じゃぞ。古代の聖なる王であった堯(ぎょう)や舜(しゅん)でさえ、そんなこと(博施済衆)がしたいと思って悩んでおられたのじゃ。そもそも「仁」というものはなあ・・・」
と「仁」の説明がありますが、それは次を見よ。
仁至難言。故止曰己欲立而立人、己欲達而達人、能近取譬、可謂仁之方也已。
仁は至りて言い難し。故に止(た)だ曰う、「己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達し、よく近く譬えを取る、仁の方なりと謂うべきのみ」と。
「仁」というのはもの凄く説明がしづらい。そこで(孔子さまでも)、次のように言うにとどまったのだ。
ここからは、上の「論語」雍也篇の「それ、仁なるものは」の後の文章がそのまま引用されています。
―――自分が名乗りをあげたいところで他人に名乗りを上げさせ、自分が成し遂げたいところで他人に成し遂げさせる。(他人のことを)自分に近づけ、自分にたとえて考える。これが「仁」のやり方じゃ、ということはできる。
「仁」そのものを説明はできない。孔子さまは、
欲令如是観仁可以得仁之体。
かくの如く仁を観て以て仁の体を得べからしめんと欲するなり。
このように「仁」をその「やり方」の面から考えさせ、それによって「仁」とは何ものか、を理解させようとなさったのである。
「(他人のことを)自分に近づけ、自分にたとえて考える。」ここのところを、手足が痺れずに神経が通っている状態と説明するのが一番わかりやすい、と言ってみたんですが、如何でしょうか。
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北宋・程明道・程伊川「程氏遺書」二上より(「近思録」巻一所収)。程氏兄弟のうち、兄貴の程明道のコトバです。兄貴の方が弟より人間性豊かで温かい人なので、神経が通じるように一体になれることを「仁」と言ってくれています。社会が分断されていないと社会の何処かが痛むと痛いのですが、分断されると痺れてしまって何とも思わなくなって、「過疎地に住んでるのは自己責任」と言えてしまったりするんではないでしょうか。