1月4日 明日はどうなるのだろうか

不聞此語(この語を聞かず)(「松窗夢語」)

予想は当たる!・・・こともある。当たらないこともあるので心配しなくていいと思います。

にわとりがタマゴになるわけではないでこけ。

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明の時代のことですが、

吾祖当年葬時、宗人有素解風水者、極言不可。

そう言われておやじも困っていたみたいだが、

余在傍曰、子孫福沢、各有定命。卜地求安親体、豈敢於枯骨求蔭庇哉。

子どものコトバであったが、

「そうだな」

先大人以為然。乃開壙下棺。

そこが今我が家のご先祖代々の御墓がある積慶山である。

その後、

自余仕官、人稍称善。

さらに萬暦元年(1573)、強力な権力を保有した宰相・張居正の引きで吏部尚書(人事長官)となって、

既通顕、乃益称勝。

ふむふむ。そうですか。それはよかったですね。

近年行術者、咸尋訪登覧、謂、此祖墳、宜出鉅公。

余笑曰、五十年前不聞此語。

ある人から聞いたコトバであるが、

有此六尺之躯、必有三尺之土。百年後皆土壌爾、奚択焉。

正確な計算をしてもしようがないのですが、明代の一尺≒31センチだそうです。

これが正しいのであろう。けだしこの言葉、我が子孫はよく味わうべきである。

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明・張瀚「松窗夢語」巻五より。張瀚、字・子文、浙江のひと。だいたい上にあるような経歴を経た後、萬暦五年(1577)、大宰相・張居正に忖度しなかったことを以て排斥され、辞職。十八年後、萬暦二十三年(1595)、家に卒した。その間に書いたのがこの「松窗夢語」のほか、文集や詩集や刑法や人事に関する先例集なども作っています。

まだ生き埋めの人はたくさんいるらしいので、落ち着いてきた、といえるような状況ではないようです。

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