1月31日 こんなこと何の役にたつのだろう

廿卅卌(廿、卅、卌)(「茶余客話」)

学校で習ってないと思います。勉強になるなあ。役に立つブログだなあ。

なにかの書き間違いかと思うのでは。

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「史記」を閲すると、どうにも腑に落ちないことがある。

秦の始皇帝があちこちに巡遊して、行った先で石碑に刻んだ記念の言葉が記録されている(いずれも「秦始皇本紀第六」)のだが、それを見ると、

1 泰山辞曰、皇帝臨位、作制明位、臣下修飭、二十有六年、初并天下。

2 琅邪台頌曰、維二十六年、皇帝作始、端平法度、万物之紀。

3 之罘頌曰、維二十九年、時在中春。陽和方起、皇帝東游、巡登之罘、臨照于海。

4 東観頌曰、維二十九年、皇帝春游、覧省遠方、逮于海隅、遂登之罘、照臨朝陽。

5 会稽頌曰、皇帝休烈、平一宇内、徳恵修長、三十有七年、親巡天下、周覧遠方。

・・・何が腑に落ちないかおわかりいただけましたでしょうか。

秦始皇凡刻石頌徳之辞、皆四字句。此史記所載、毎称年者、輒五字句。

ずっと不思議でしようがなかったのですが、「泰山のことば」の石碑の一部らしきものが発掘されていることを知ったので、人づてにその拓本を手に入れることができた。

それを見ると、

乃書為廿有六年。

これではたと気づいたのである。

二十為廿、三十為卅、四十為卌、皆説文本字。

チャイナ最古の字書とされる「説文解字」を引きますと、確かに、

廿音入、二十併也。卅音先合反、三十之省便、古文也。卌音先立反、数名、今直以為四十。

想余皆如此、其実四字句也。

逆に四字句にするために、「有」や「維」を付け加えていたのである。

太史公誤易之、或後人伝写之訛耳。

ということでこの問題は解決。今晩はぐっすり眠れるはずだぞ。

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清・阮癸生「茶余客話」巻十六より。なお、宋のひと洪邁も「容齋随筆」でほぼ同じ結論に達しているそうです。みんな頭いいなあ。

さて、今日は卅一日。今月も終わりです。来月は廿九日までしかありません。廿八日ではないですよ。

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