能見神鬼(よく神鬼を見る)(「右台仙閣筆記」)
にほんの道路陥没するからコワいです。これを異とするに値します。

とはいえ、おれたちオバケは見えないだろう。
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我が清朝の道光(1821~50)の初めぐらいのことだそうですが、河南・中牟県の人民の家に、娘が一人あった。
この娘、
生而両目与人異。其瞳子旁有白痕一線囲之。
生じて両目人と異なれり。其の瞳子の旁らに白痕一線有りてこれを囲む。
生まれつき、両目が人と違っていた。ひとみのまわりに白い線があって、ぐるりと一回りしていたのである。
もしこんな人がいたらよく気を付けてくださいよ。なにしろこの娘は、
自幼能見神鬼。
幼よりよく神鬼を見る。
幼いころから、神霊たちを見ることができたのだ。
だったのですから!
・・・といってもみんな感動しないんですか? 「見鬼者」というだけでぞくぞくわくわくしないとは、変わった人たちだなあ。
甫能言、即言空中某神人過、某仙人過。人雖不之信、然以某神某仙之名、非童穉所能知。亦頗異之也。
甫(はじ)めてよく言うに、即ち空中を某神人過ぐ、某仙人過ぐと言えり。人これを信ぜずといえども、然るに某神某仙の名、童穉のよく知るところに非ず。また頗るこれを異とす。
はじめてしゃべり出したころから、突然、「今、空中をなんとか神さまが行きまちたよ」とか「なんとか仙人さまでちゅよ」などと言うのである。大人たちはまったく信用しなかったが、よく考えると、その神さまや仙人の名前をそんな小さな子供が知るはずがない。それでみな変な子どもだと思っていた。
五六歳時、即能為人医病、久之其名大盛、延請之者無虚日。
五六歳時、即ちよく人のために病を医(いや)し、これを久しくしてその名大いに盛んにして、これを延請する者虚日無し。
五六歳になると、今度は人の病気を治癒する能力を発揮しはじめた。しばらくするとあちこちで有名になり、毎日毎日、誰かが治療に来てくれと要請しにくるのであった。
其治病也、不切脈処方、随意以一草一果食之。或使人入市買薬、皆人所常用之品。且所値不過一二十銭、而病人服之、無不瘳者。
その病を治するや、切脈処方せず、随意に一草一果を以てこれを食せしむ。あるいは人をして市に入りて薬を買わしむに、皆ひとの常用するところの品なり。かつ値いするところ一二十銭を過ぎず、しかるに病人これを服すれば、瘳えざるもの無し。
その治療法は、脈をとったりあれこれ薬を調合したりはしない。思いついたように一本の草か一種類の果物を食わせたり、誰かに市場に薬を買いに行かせるのだが、ふつうにみんなが使っている、しかも安くて十銭とか二十銭の値段のものばかりであった。ところが、病人がこれを服用すると治らない者がない、というのだ。
一時鬧然、以為神医。
一時、鬧然として、以て神医と為せり。
当時は大騒ぎして、「神秘の医師」と言っていた。
然不受謝、或以食物遣其父母、少則受之、多亦不受也。
然るに謝を受けず、或いは食物を以てその父母に遣わすに、少なればこれを受け、多きはまた受けず。
ところが、この娘は謝礼を受けようとしなった。なんとかお礼をしようとして、両親に食べ物を贈ったひともいたが、少量なら受け取り、大量にもらうと突き返した。
「へー。すごいなあ。そんなすごい医療者なら本人も長生きしているのだろう。今だと七十歳ぐらいかな」
「ああ、それはそうだなあ、えーと
自言不能過十八歳。如期果無疾而卒。
自ら言うに十八歳を過ぐる能わず、と。期の如く果たして疾無くして卒す。
自分でいつも十八歳より長生きはできないと言ってたのだ。そのとおりの時期に、果たして病気もなく死んでしまったのだ」
「へー。それもすごいなあ。そんな人なら名前は伝わっているのだろうなあ」
「ああ、それがその、そうだ、
惜失其姓氏也。
惜しむらくはその姓氏を失えり。
惜しいことに、その姓名を忘れてしまったのだ」
「へー・・・」
この話は本当なのであろうか。
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清・兪樾「右台仙閣筆記」巻六より。むかしはすごい人がいたんだなあ。名前が伝わっていないとは惜しいなあ。現代のようにSNSが繁栄していればわかっただろうになあ。