1月30日 若いムスメが脈もとらずにのう。

能見神鬼(よく神鬼を見る)(「右台仙閣筆記」)

にほんの道路陥没するからコワいです。これを異とするに値します。

とはいえ、おれたちオバケは見えないだろう。

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我が清朝の道光(1821~50)の初めぐらいのことだそうですが、河南・中牟県の人民の家に、娘が一人あった。

この娘、

生而両目与人異。其瞳子旁有白痕一線囲之。

もしこんな人がいたらよく気を付けてくださいよ。なにしろこの娘は、

自幼能見神鬼。

だったのですから!

・・・といってもみんな感動しないんですか? 「見鬼者」というだけでぞくぞくわくわくしないとは、変わった人たちだなあ。

甫能言、即言空中某神人過、某仙人過。人雖不之信、然以某神某仙之名、非童穉所能知。亦頗異之也。

五六歳時、即能為人医病、久之其名大盛、延請之者無虚日。

其治病也、不切脈処方、随意以一草一果食之。或使人入市買薬、皆人所常用之品。且所値不過一二十銭、而病人服之、無不瘳者。

一時鬧然、以為神医。

然不受謝、或以食物遣其父母、少則受之、多亦不受也。

「へー。すごいなあ。そんなすごい医療者なら本人も長生きしているのだろう。今だと七十歳ぐらいかな」

「ああ、それはそうだなあ、えーと

自言不能過十八歳。如期果無疾而卒。

「へー。それもすごいなあ。そんな人なら名前は伝わっているのだろうなあ」

「ああ、それがその、そうだ、

惜失其姓氏也。

「へー・・・」

この話は本当なのであろうか。

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清・兪樾「右台仙閣筆記」巻六より。むかしはすごい人がいたんだなあ。名前が伝わっていないとは惜しいなあ。現代のようにSNSが繁栄していればわかっただろうになあ。

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