1月30日 うっせいと言いたくてももう遅い

寧至踣乎(なんぞ踣(たお)るるに至らんや)(「近思録」)

うっせい、うっせい、うっせいわ・・・の声も聞こえてきそうである。

反抗する子どもはつかまえるでワン!

・・・・・・・・・・・・・・・・

北宋の名儒・程伊川先生が死んだおふくろのことについて言っております。

治家有法、不厳而整。不得笞扑奴婢、視小臧獲、如児女。

ある時、言ったことをしてくれないから、自分より幼い童子を怒鳴りつけたことがあった。

そうしたら、おふくろに叱られたんじゃ。

貴賤雖殊、人則一也。汝如是大時、能為此事否。

むむむ。

先公凡有所怒、必為之寛懈。唯諸児有過、則不掩也。

おやじにチクるのだ。わしも何度かチクられたことがあったが、そんなとき、おふくろはいつも言っていた、

子之所以不肖者由母掩其過、而父不知也。

うーん、むむむ。

夫人男子六人、所存惟二。於教之之道、不少暇也。

わしがまだほんとによちよち歩きのころ、

纔数歳、行而或踣。

当たり前だよね。すると、

家人走前扶抱、恐其驚啼。

ところが、

夫人未嘗不呵責。曰、汝若安徐、寧至踣乎。

むむむ。

また、

嘗食絮羹、皆叱止之。

スープをかき混ぜること自体は無作法なことではない。だが、おふくろに言わせれば、

「スープをかき混ぜるのは、味の偏りを無くして味をよくしようとすることです。

幼求称欲、長当何如。

なので、スープを美味くする工夫をしていはいけない、というのであった。

与人争忿、雖直不右。

言うことには、

「正しいことでも通らないことはよくあります。

患其不能屈、不患其不能伸。

ほんとにもう・・・、でも、いずれにしろ、

其慈愛可謂至矣。

・・・・・・・・・・・・・・・

「近思録」巻六・斉家篇より。伊川先生の話だから、ゴリゴリの理詰めの理想論か、と思いましたが、おふくろの思い出話はさすがにゴリゴリではありませんでした。当時の士大夫の家庭の、もちろん恵まれた階層なんですが、意外と人間的なのが垣間見えるようではありませんか。子どものころは「うっせいわ!」だったかも知れませんが、この話をしているときは、もう兄貴の程明道先生も死んだあとです。親に文句は言えません。文句を言えばそのまま自分の子どもや孫から還ってくるんです。

ホームへ
日録目次へ