1月3日 別に嫌いではないのですが

一日千里(一日に千里)(「茶余客話」)

人間の限界はどのあたりであろうか。

カッパやあずきあらいには限界はないであろう。

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我が清朝においては、

文書緊急者、向例駅逓日行六百里。

清代の一里=576メートルなので、計算がめんどくさいから600メートルにします。一日六百里は360キロメートルになります。

乾隆年間に至り、

近因軍営羽書有八百里加緊者、経過郵站、画定時刻、処分極厳。

八百里だと480キロになります。

少し歴史的に振り返ってみますと、

元時呼快行役曰貴由赤、官試之、限三時行一百八十里、以先到者為上。

元代の一里は553メートルで、清代より少し短いのですが、めんどくさいので600メートルで計算して108キロ。少し短いのを勘案して(細かい暗算ができない)、一日ぶっ通しでこのスピードでいけるとして、400キロぐらいでしょうか。

この試験の時は、不正があるといけないので、

初試時、監臨官封記其発、以一縄攔定、俟斉立去縄令走。

河西から上都・カラコルムや、泥河から北京の宮中へ走らせ、

直至御前。頭名賞銀一錠、第二緞表裏四。

その後、

明季李道夫三才、撫淮時、有兵顧姓、一日可行千里。

明の一里は約560メートル、そのまま千倍すると(これぐらいの暗算はできる)560キロメートルです。

すごいですね。こいつが今のところ人類最高かも。

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清・阮葵生「茶余客話」巻六より。箱根まで往復で約217キロ、二日だから一日105~9キロ、これに比べて「チャイナはすごい!万国びっくり!」と思うかも知れませんが、向こうは騎馬だと思いますので、念のため。

全く見てないので結果も知らないのですが、否定的なのではありません。がんばれ、がんばれ。ただ、高野〇と同じ構造(メ〇ィア+一部ス〇ール)のスポーツ利〇的なものにはちょっと抵抗があるだけで・・・。

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